齋藤秀雄の出身高校
齋藤秀雄 ミュージシャン
- 齋藤秀雄卒業高校
- 暁星高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
- ミュージシャンランキング
- 149位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1902年5月23日生まれ
齋藤 秀雄(さいとうひでお、1902年5月23日-1974年9月18日)はチェロ奏者、指揮者、音楽教育者として活躍した音楽家である。1902年(明治35年)5月23日、英語学者として有名な斎藤秀三郎の次男として東京都に生まれた。音楽に興味を示したのは12歳の頃からで、最初に演奏したのはマンドリンだった。後に「オルケストル・エトワール」というマンドリンオーケストラを組織し、『フランス民謡「歌えよ小鳥やよ歌え」の主題による八つの変奏曲』などの曲を残している。16歳からは宮内庁 宮内省にいたチェロ通の職員からチェロの勉強をはじめる。その後、学校法人暁星学園 暁星中学校を経て上智大学に入学したが、音楽に専念するため退学。1922年 22年には当時作曲家、指揮者として有名だった近衛秀麿(内閣総理大臣を務めた近衛文麿の実弟)に随伴して、ドイツに留学。ライプチヒ音楽学校に入学してチェロの名教師ユリウス・クレンゲルに学ぶ。1927年に帰国しNHK交響楽団の前身である新交響楽団に首席チェロ奏者として入団。翌1928年の第30回定期では指揮者としてデビューする。同年にはチェリストとしてもデビューを果たし、1929年に初のリサイタルを開催して成功を収める。1930年、ベルリンに留学し、ベルリン・ホッホシューレでエマーヌエル・フォイアーマンに師事する。ホッホシューレを修了後帰国し、再び新響の首席チェリストとして活動を続ける。もっとも、チェリストとして出演した帰国後のある演奏会で失敗したのがきっかけとなり、ソロのチェリストとしてはほとんど活動しなくなる。
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