鳥山明の出身高校

鳥山明 芸術家

鳥山明卒業高校
石川県立工業高校 偏差値 石川県高校偏差値ランキング
芸術家ランキング
273位 / 327人中 芸術家別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1955年4月5日生まれ
血液型
A型

鳥山 明(とりやま あきら、1955年4月5日 - )は、日本の漫画家、デザイナー。愛知県名古屋市出身、同県清須市在住(合併前は清洲町)。プロダクションは「BIRD STUDIO」(バードスタジオ)。血液型はA型。妻は漫画家のみかみなち。

1978年に『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。

『Dr.スランプ』で第27回小学館漫画賞少年少女部門受賞。『ドラゴンボール』で2006年日本のメディア芸術100選マンガ部門3位選出。2013年に開催された第40回アングレーム国際漫画祭では、40周年記念特別賞を受賞している。

漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。

1980年から90年代の「(週刊少年)ジャンプ黄金時代」を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している。

『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』は2015年現在でも、コマーシャルに起用されたり、クッズが作られるなど根強い人気を博している。 清須市の自宅は外壁がオレンジ色の奇抜で目立つ大きな建物で、近隣から「鳥山御殿」と呼ばれている。

初代担当編集者の鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが両親ともにのんびり屋の性格で、夕食代にも事欠く時でも代わりにと2人でワルツを踊るような人だった。鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた。当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持ったといい、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している。また、妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた。

尊敬していたという漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた。一番影響を受けたのはディズニーアニメであり、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた。

幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校デザイン科に進学した。高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかったという。1974年に同校を卒業。

高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職したが、レタリング作業が仕事のメインになり嫌気が差して約2年半ほど経った1977年3月に退職。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができてムダではなかった」と述べている。

退職後1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品『アワワワールド』を投稿する。投稿したのはギャグ漫画だが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分だったため。

投稿した作品は入賞には及ばないものの、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。

鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ。

デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した。「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在せず、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たため、冗談で水田二期作(みずたにきさく)というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた。本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したことだという。

1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、アンケート結果は最下位であり、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。鳥嶋に促されて描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする女性を主人公とした作品だったが、評判が良かったため『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった。

1980年に『Dr.スランプ』の連載を開始。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた。これが功を奏して人気作となり、1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化され、最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になるなど大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県の東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している。

ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り、、第6巻は初版220万部を記録した。

連載1年目は、睡眠は3日に1回、最高記録となる6日連続徹夜、ペン入れの記憶がない回があるなどと多忙を極めた。

アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3ヶ月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記に格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であり、アンケートで反響も無く人気は低迷していたが、格闘大会天下一武道会で人気が出たのをきっかけに、次々に登場する強敵・難敵との戦闘をメインに据えたシリアスな物語となることで人気を獲得し、1986年から1997年まで放送されたTVアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した。

『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。堀井雄二の描いたラフ絵を元にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように(堀井のラフ絵では、スライムはドロドロの液体状のモンスターで、目も口もない)自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。なお専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。

鳥山は当時「コンピュータRPGをやったことがなかったため初めは苦労したが、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという。

『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。1997年11月から1999年9月まで放送された『ドクタースランプ』において、初めてキャラクター原案を担当する。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部CGで製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。

また、2002年には絵本『天使のトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである。

2013年7月から10月まで、週刊少年ジャンプで『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。

2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『ドラゴンボールZ 神と神』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送中の『ドラゴンボール超』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。

モデルガンやプラモデル好き。プラモデル作りの腕前はプロ級で、株式会社タミヤの主催する1/35フィギュア改造コンテストで入賞している[54]。また愛知県唯一のプラモデルメーカーファインモールドの社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。

歴史・地理方面には疎いらしく、織田信長の死因を知らなかった[55]。

「生まれも育ちも名古屋。当然、ドラゴンズファン」と語っている。『Dr.スランプ』内でもキャラクターたちが中日ドラゴンズを応援する一幕がみられる。

好きな季節は夏だと語っており、作品の季節感も夏であることが多い。本人いわく「蚊さえいなければ最高」とのこと[56]。

女性の髪形ではショートカットが好みで、それは『ドラゴンボール』内では第22回天下一武道会の頃のブルマの髪形に反映されている。

読者からプレゼントされた女性用下着がヤニで黄色くなってしまうほどのヘビースモーカーであり、多い時は1日で3箱[57][58]、締め切り前は100本以上吸うこともある[59]。その一方、酒は苦手でせいぜいビールをコップ1杯程度だという[57]。

『Dr.スランプ』の登場キャラクターである空豆ピースケの趣味はサイン集めだが、これは、鳥山の趣味がそのまま反映されたもの[60]。子供たちと一緒に『スーパー戦隊シリーズ』を見ていたところはまり、『ドラゴンボール』に戦隊ヒーローのパロディであるギニュー特戦隊を登場させ[50][61]、戦う時変身するという超サイヤ人のアイデアも当時子供と一緒に見ていた特撮テレビ番組からヒントを得ている。

公式に「自分はテレビで見たウルトラマンに深い感激を受けた。僕自身ウルトラマンが大好きだ。」と言ったコメントを出しており『Dr.スランプ』にも幾度と無くウルトラマンやバルタン星人などのキャラクターを登場させた。

人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。田舎在住であるのも同じ理由からとのこと[62]。1982年に漫画家のみかみなち[63]と結婚。出会いのきっかけは、鳥山がイタズラ電話をかけたのが始まりである[64]。「あのセンスと知識にはかなわない」と妻を評している。

鳥山明の関連人物

芸術家偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

芸術家偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング