鮎川誠の出身高校
鮎川誠 ミュージシャン
- 鮎川誠卒業高校
- 明善高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
- ミュージシャンランキング
- 107位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1948年5月2日生まれ
- 血液型
- A型
鮎川 誠(あゆかわ まこと、1948年5月2日 - )は、日本のギタリスト、作曲家、俳優。ロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のリーダー。1970年代、福岡市を中心に勃興した、いわゆるめんたいロックの草分けの一人である。福岡県久留米市出身。血液型はA型。身長180cm。
トレードマークの黒縁眼鏡は、ピーター&ゴードンのピーター・アッシャーの影響による。
1948年、福岡県久留米市に生まれる。父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフ。父はアメリカ軍の軍人だが、会った記憶はない。母親は料亭の仲居で、のちに久留米市高牟礼会館で住み込みの管理人を務めた。父が転任するとき母は誠と共に日本に残ることを選んだため双方は離れ離れになったが、誠は懸命にローマ字を覚えて父に手紙を書き送り、父からローマ字でしたためた日本語の返事を受け取るなど連絡は相互に続いていた。しかし誠が中学生の時、父の訃報を伝えられた。父が家に残したフランク・シナトラやビング・クロスビーのレコードが誠のアメリカとの最初の出会いだったことから、彼は後年「僕らのロックへの思いって、個人的なイマジネーションの問題なんですよ」と語っている。「進駐軍」「あいのこ」などと呼ばれて差別を受け、母が紙芝居屋に抗議したこともある。8歳まで母とともに高牟礼会館で暮らした。
小学校5年生の時、誕生日のプレゼントとして母からガットギターを贈られ、「シューベルトの子守唄」や「トム・ドゥーリー」を練習。小学校高学年の頃、久留米の「小川レコード店」の試聴コーナーに入りびたり、レイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ (なんと言ったら)」を、続けて「ベスト・オブ・レイ・チャールズ」を買う。さらにエルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」「ハウンド・ドッグ」「冷たくしないで」などシングル盤を買う。
中学時代はロックの他、野球、バイク、プラモデル、山歩き、魚釣りなどに熱中。中学2年生の時、リトル・リチャードに夢中になる。1964年1月頃、中学3年の時、隣席の生徒が弁当を包んできた新聞を見てビートルズの名前を知る。高校受験勉強中のFENでビートルズの音楽に接し、1964年、久留米の名門・福岡県立明善高等学校に入学。同年、ローリング・ストーンズを知る。高校在学中に友人からマディ・ウォーターズなどブルースのレコードを借りて聴いた事や、KBCラジオの当時の人気番組「ヤング・ポップス」の影響で洋楽に興味を持つ。高校時代は、部室にレコードプレイヤーがあるというだけの理由で新聞部に在籍。部室に友人のギターやアンプを持ち込んで「ジェニ・ジェニ」「ルシール」「カンサス・シティ」などを練習していた。1965年冬、修学旅行に行く代わりに、その費用を払い戻させて、友人からエレクトリックギター(テスコのセミアコ)を4500円で購入。
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