高橋二三男の出身高校

高橋二三男 プロ野球選手

高橋二三男卒業高校
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プロ野球選手ランキング
2239位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1948年5月15日生まれ

高橋 二三男(たかはし ふみお、1948年5月15日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。

大鉄高校の2年生だった1965年の夏には、レギュラー外野手として、1年先輩の福本豊などと共に第47回全国高等学校野球選手権大会へ出場した。卒業後は、社会人野球の鐘紡や新日鐵広畑でプレー。新日鐵広畑時代の1970年に社会人ベストナインへ選出されると、同年のドラフト会議で西鉄ライオンズからの1位指名を受けて入団に至った。

1971年には、新人ながら、一軍で外野のレギュラーポジションを獲得。1番打者として公式戦118試合に出場するとともに、22盗塁を記録した。西鉄最終年の1972年にも、102試合に出場した。

1973年には、西鉄の後継球団・太平洋クラブライオンズからの野球留学生として、アメリカマイナーリーグ・1Aのローダイ・ライオンズでプレー。1974年に太平洋ででNPBに復帰すると、2番打者として、一軍公式戦113試合に出場した。しかし、NPBの他球団から土井正博・白仁天などの大物選手が入団した1975年には、オープン戦の時点で選手兼任の一軍監督・江藤慎一による戦力構想から外れた。8月下旬から一軍に復帰したものの、公式戦では6安打にとどまったため、シーズン終了後にはNPBから自由契約選手として公示された。

1976年にロッテオリオンズへ移籍。移籍後の一軍公式戦では、試合途中からの守備要員として起用されることが多く、西鉄時代を上回るほどの成績を残せなかった。二軍生活に終始した1979年限りで、現役を引退。

西鉄・太平洋の本拠地であった福岡市の中州で、「スナックたかはし」を経営。パイプ、ホース、建材などの製造・販売を手掛けるカナフレックスコーポレーションが滋賀工場(滋賀県東近江市)で硬式野球部を創設した2013年からは、スナックの経営を続けながら、野球部の顧問を務めた。2014年11月には、旧知の間柄である河埜敬幸を第2代監督へ招聘するとともに、自身もコーチとして現場へ復帰。2015年には、チームを初めての全国大会(第41回社会人野球日本選手権大会)出場に導いた。

大鉄高校時代の福本と同じく、日本人選手としては小柄な体格ながら、左投左打の外野手としてたびたび俊足を披露。また、左打席からの流し打ちを得意にしていた。

太平洋時代には、NPBの現役選手で身長が最も低かった。身長200cmのフランク・ハワードが入団した1974年には、ハワードが前年まで現役のメジャーリーガーだったことに対する注目の高さを背景に、島原春季キャンプで報道陣からのリクエストに応じてハワードとのツーショット撮影に駆り出されることが多かった。ローダイ時代には、コマネズミのように俊敏な動きを披露したことから、ミッキーマウスにちなんで「ミッキー」という愛称が付けられた。

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