高井雄平の出身高校

高井雄平 プロ野球選手

高井雄平卒業高校
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プロ野球選手ランキング
2098位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1984年6月25日生まれ

雄平(ゆうへい、1984年6月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手→外野手)。

本名及び2010年シーズンまでの登録名は高井 雄平(たかい ゆうへい)。

東北高校時代には、「高校ナンバー1の左腕投手」として、日本はもとよりメジャーリーグ球団のスカウトからも注目。高校時代の監督からは、「投げて後藤伸也以上、打って嶋重宣以上」という表現でプロ入りした先輩2人と比較されるほど、潜在能力の高さを評された。現に、投手としてストレートで最速151km/hを計測された一方で、打者として高校通算36本塁打を記録している。また、2年下の後輩にダルビッシュ有がいた。

2002年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズとヤクルトスワローズからドラフト1位指名され、ヤクルトが交渉権を獲得し入団。

2003年、4月22日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で一軍公式戦初登板。6月11日の同カードで一軍初勝利。6月28日の対広島東洋カープ(広島市民球場)戦では、5回4失点10奪三振で勝利投手になった。この年、セントラル・リーグ最多の12暴投を記録した。

2004年、シーズン前半を二軍で過ごした。一軍での登板数は前年より減ったものの、後半に一軍昇格すると、先発で4勝を挙げた。

2005年、開幕を初めて一軍で迎えるとともに、前年後半に続いて先発陣の一角を担った、しかし、与四死球が多いことから、6月に二軍へ降格した。

2006年、石井一久がヤクルトに復帰したため、背番号を22に変更。この年からリリーフに回り36試合に登板したが、防御率は自己ワーストの6点台と結果を残せなかった。6月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦7回表二死一、二塁で3番手で登板したが、打者の福浦和也に投じた初球が側頭部を直撃し、わずか1球で危険球により退場した。10月12日、この年初めて先発登板したが、1イニングに3個の暴投を記録。

2007年、高津が背番号を22番に変更したことにより、高井は背番号41に変更。また制球力を上げるため、投球フォームもノーワインドアップからセットポジションに変更した。7月16日の対中日ドラゴンズ戦では9回裏二死から5番手で登板し、プロ入り初セーブを記録。この年はチーム唯一の左の中継ぎとして、チーム・自身ともに最多の52試合に登板したが、ショートリリーフ中心ながら防御率5点台で6敗を記録し、シーズン終盤に二軍落ちした。

2008年、新監督の高田繁に先発復帰を示唆され、増渕竜義・由規・加藤幹典らなど若手と先発ローテーション争いを目指すこととなった。結果はコントロールが悪い上、ストレートも140km/hを超えず、結局1試合(2/3回)のみの登板に終わった。9月27日に開幕したハワイ・ウィンターリーグに鬼崎裕司とともに派遣され、ワイキキ・ビーチボーイズに所属した。

2009年、大幅なフォーム改造を行うも一軍登板は1試合のみに終わり、二軍でも結果を残せなかった。9月30日、フェニックスリーグからの野手転向を首脳陣から打診される。一度はそれを了承しながらも撤回し、サイドスロー転向による投手継続を直訴したが、結局、シーズン終了後の秋季キャンプ中に本格的に野手として専念する事を決めた。

2010年、一軍公式戦への出場機会はなかった。二軍ではイースタン・リーグの公式戦で規定打席に到達。、打率.283、4本塁打、35打点という結果を残した。

2011年シーズンから登録名を「雄平」に変更することが発表された。二軍で打率.348、5本塁打、24打点と首位打者をキープするなど、好調を維持し7月17日にオールスターゲーム前で登板機会のなくなる投手に代わって初の野手としての一軍登録を果たした。最終的には、一軍での出場機会は無かったものの、二軍では、規定打席に到達した打者ではトップの打率.330を記録した(首位打者は規定打席に到達しなかったものの、首位打者の例外規定により楽天の銀次が獲得)。

2012年、野手として初めて開幕を一軍で迎えると、開幕2戦目の対巨人戦(東京ドーム)に代打で出場し、野手転向後の一軍初安打を記録。5月に一軍出場登録を抹消され、9月に一軍へ再昇格、シーズン終了まで1番中堅手に定着した。なお、開幕前には野手登録のまま、いわゆる「二刀流」の起用で救援投手を兼ねる可能性があることが一部で報じられた。公式戦では投手起用される機会はなかったが、シーズン終了後には、延長戦での投手不足対策として再び「二刀流」の可能性が伝えられている。

2013年、3月30日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)で藤浪晋太郎から6回裏の打席で野手転向後初本塁打を放つなど、開幕から外野手のレギュラーとして一軍で活躍。しかし、13試合目の出場になった4月17日の対中日戦(神宮)で、外野守備中にジャンピングキャッチ後の着地で右膝を負傷。その後の診断で右膝前十字靱帯を断裂していることが判明したため、5月10日に靱帯の再建手術を受けた上で、残りのシーズンをリハビリに費やした。

2014年、開幕から一軍に復帰。当初は「2番・センター」として起用されていたが、打線の組み替えにより程なくして5番に置かれる。4月終了時点で、打率.224と調子が上がらなかったが、小川監督から「(スイングが)中途半端になっているから、結果を気にせず、思い切り自分のスイングをした方がいいんじゃないか」と助言され、フルスイングを心掛けるようになった結果、徐々に調子を上げていった。5月28日の対北海道日本ハムファイターズ戦(神宮)で大谷翔平から自身初の二桁本塁打となる10号本塁打を含む2本塁打を記録。5月は打率.364、8本塁打、19打点、長打率.646の成績で月間MVPを初受賞する。投手として同リーグの一軍公式戦へ登板した後に野手へ転向した選手の受賞は、1993年9月の仁村徹(中日)以来2人目である。7月には、故障で戦線を離脱したウラディミール・バレンティンに代わって4番を務めた。オールスターゲームには、セントラル・リーグの監督推薦選手として、投手時代を含めて初選出された。最終的に打率3割と20本塁打を共にクリアし、ベストナインを受賞した。シーズンオフの契約更改では一度保留したが、査定の詳細な説明を受けた二回目で12球団トップとなる380%アップの6000万円でサインした。

2015年開幕前の2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された事が発表され、トップチームに初めて招集される事となった。

同年のシーズンでは「4番・センター」で開幕スタメンを勝ち取った。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。

10月2日、本拠地(明治神宮野球場)で行われた対阪神戦において、11回裏2死1・3塁から、サヨナラタイムリーを放った。これによりチームは2-1で勝利し、14年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を決めた。シーズン通しては、開幕時の4番を外れるなど全体的に低調な成績となったが、前述のサヨナラ打を含め9月以降に好成績を挙げて優勝に貢献した。 しかしシーズン成績は打率(.316→.270)本塁打(23→8)打点(90→60)共に前年を大きく下回った。

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