駒田 桂二(こまだ けいじ、1926年1月30日 - 2012年8月1日)は大阪府布施市(現:東大阪市)出身のプロ野球選手。
1949年シーズン中に東洋紡績から大阪タイガースに入団。当初は制球力に難があったが、それを克服し1950年に頭角を現し7勝を挙げる(6敗)。カーブが武器の投手であった。翌1951年には11勝を挙げる。その後は、先発投手としてチームを支えた。1956年オフに退団し、東洋紡績に復帰した。2012年8月1日、死去。86歳没。
1951年7月25日の大阪球場での松竹戦で、本塁打を放ったが、相手投手がボークだったため無効となり、幻の本塁打となった。 その3年後の同日・同球場(1954年7月25日の大阪球場)での対中日戦で、杉山悟が放った幻の本塁打の対戦投手であり、幻の本塁打を打者と投手で係わった唯一の選手となった。
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