須田幸太の出身高校
須田幸太 プロ野球選手
- 須田幸太卒業高校
- 土浦湖北高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3428位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1986年7月31日生まれ
須田 幸太(すだ こうた、1986年7月31日 - )は、茨城県石岡市出身の横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。
土浦湖北高では2年秋の関東大会で初優勝を飾りエースで4番として3年春にセンバツ初出場に導いた。しかし、練習試合で投げすぎた影響で右ひじを痛めており当日は痛み止めを飲んで初戦に挑んだが本来の力を出せず鵜久森淳志、高橋勇丞、福井優也らを擁する済美高に0-9で敗れた。3年夏は再び甲子園を目指したが茨城大会3回戦で常磐大高に1-2で敗れた。
高校卒業後は早稲田大学に進学して野球部に所属。2年までは未勝利だったが、3年春にエースナンバーの背番号11を背負って斎藤佑樹と先発2本柱となり、3勝1敗を挙げ優勝に導いた。大学4年の2008年春には最優秀防御率のタイトルを獲得している。大学通算成績は8勝3敗。大学の同級生にはバッテリーを組んだ細山田武史(福岡ソフトバンクホークス)、松本啓二朗(横浜DeNAベイスターズ)、上本博紀(阪神タイガース)がいた。
大学卒業後はJFE東日本に入社してエースとして活躍。2009年の都市対抗野球では自チームでの出場は逃したもののHondaに補強され、抑えとして5試合中4試合に登板して胴上げ投手となり、若獅子賞を獲得した。また翌2010年の都市対抗野球では自チームで出場、チームをベスト8入りに導いている。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議で、早大の後輩である大石達也(現埼玉西武)をくじで外した横浜ベイスターズから1位指名を受けた。
2010年11月には、広州アジア大会日本代表にも選ばれ、銅メダルを獲得した。11月25日に契約金1億円、年俸1500万円で契約した。
4月22日の対阪神タイガース戦で緊急先発という形でプロ入り初登板、初先発。8試合目の先発となった6月6日の対埼玉西武ライオンズ戦でプロ初勝利を挙げた。だが、8月17日の東京ヤクルトスワローズ戦では、序盤に9点の援護を貰ったのにも関わらず、4回・5回で突如打ち込まれ7失点で降板した。
6月に2試合先発したがいずれも敗戦投手となり、シーズンの登板はこの2試合に留まった。
7月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初完投・初完封勝利を挙げ、夏場以降は一度怪我で2軍落ちするが防御率4.83、自己最多の6勝を挙げた。
5月16日にロングリリーフ要員として一軍登録。8試合に登板した。その後7月2日に2軍落ち、 そして9月27日に先発として一軍登録。ホーム最終戦で先発登板するも、3回を投げて3失点で降板し敗戦投手となった。
シーズン途中から先発ローテ入り。5月24日の対阪神タイガース戦でシーズン初勝利をあげる。しかしその後は不調で2軍落ちとなり、その後は中継ぎやロングリリーフ要員として再び一軍登録された。9月5日の読売ジャイアンツ戦では長田秀一郎の後を引き継いで1点リードの9回1死1,3塁の場面で登板。レスリー・アンダーソン、堂上剛裕を抑え、プロ初セーブを記録した。結果的には、プロ入り後最多の29試合登板を果たした。
平均球速140km/h、最速148km/hのストレートに縦のスライダーとカーブ、カットボール、シンカーを投げ分ける。
投手ながら打撃が得意であり、二軍戦では決勝点となる本塁打を放ったこともあった。
親戚に漫画家の大和田秀樹がいる。
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