阿木燿子の出身高校
阿木燿子 プロデューサー
- 阿木燿子卒業高校
- 捜真女学校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- プロデューサーランキング
- 19位 / 19人中 プロデューサー別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1945年5月1日生まれ
阿木 燿子(あき ようこ、1945年5月1日 - )は、日本の作詞家・女優・小説家・エッセイスト。本名は木村 広子(旧姓は福田)。明治大学文学部卒業[注釈 1]。夫はミュージシャン・俳優の宇崎竜童。2006年11月3日紫綬褒章受章。
長野県長野市で出生、神奈川県横浜市出身。捜真女学校の小・中・高を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学し、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。
作詞家としてのキャリアスタートは、1969年、グループサウンズのジュリーとバロンのデビュー曲「ブルー・ロンサム・ドリーム」(作曲は宇崎竜童)。1971年12月に宇崎と結婚。宇崎竜童が率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドに書いた「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、1975年の大ヒット曲になった。
その後、多くは宇崎が作曲し阿木が作詞するというコンビで、多数のヒット曲を世に出す。特に山口百恵の全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このコンビによるものである。
また、女優としてドラマや映画にも出演。出演作は多くはないが、大胆な濡れ場も演じて熟れた肉体を披露、独特のスローなテンポと相まって大人の女性を演じて見せた。また作家としても多数の著書があるなど、多才ぶりを発揮。
フラメンコにも挑戦し、「FLAMENCO曽根崎心中」(2001年度文化庁芸術祭舞踊部門・優秀賞)の公演プロデュースなどの活動がある[7]。
2006年には、映画『TANNKA 短歌』で、初脚本・初監督を務める[8]。
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