長谷川アーリアジャスールの出身高校
長谷川アーリアジャスール プロサッカー選手
- 長谷川アーリアジャスール卒業高校
- 横浜創英高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- プロサッカー選手ランキング
- 396位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1988年10月29日生まれ
長谷川 アーリアジャスール(はせがわ アーリア ジャスール、1988年10月29日 - )は、日本のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・レアル・サラゴサ所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。ペルシア語ではآریا جسورو。埼玉県入間郡鶴ヶ島町(現鶴ヶ島市)出身。
父がイラン人で母が日本人のハーフ。日本で育ち日本国籍を選択した。小学4年生のときにサッカーを始める。
中学時には坂戸ディプロマッツへ在籍。1学年上には小池純輝がいた。同3年時に、横浜F・マリノス専門スカウトが練習試合を直接訪れ、当時横浜FMユース監督を務めていた安達亮も獲得を望んだ事から横浜FMユース入団に至った。ユース時代はボランチの位置でゲームメーカーとしてプレー。ユース同期には斉藤陽介、田代真一、大久保翔、木村勝太、武田英二郎、森谷賢太郎などがいた。当時の憧れはブラジルのカカ。
2007年、斉藤、田代と共に横浜FMトップチームへ昇格。早野宏史監督によって3月3日の開幕戦先発メンバーに抜擢されると、山瀬功治の決勝点をアシストする活躍を見せた。続くJ1第2節もフル出場。しかし、同月13日の練習中に右第五中足骨を骨折し戦線を離脱。FIFA U-20ワールドカップ2007の出場を逃した。その後も負傷に苦しみ以後、同年の出場機会は得られなかった。2008年6月、プロA契約を締結。同年J1第33節東京V戦では、後方から飛び出して相手のクリアボールをカットし、そのまま相手ゴールへ猛進。冷静にゴールマウスへ流し込み、プロ初得点を挙げた。2009年からは、本職のボランチに加えトップ下など攻撃的なポジションでもプレー。相手の守備ブロックの間に入り込み、シンプルなパスでチャンスを作った。2010年にはFWも務めた。2011年末、横浜FMから慰留される中、新潟、FC東京からオファーを受け争奪となった。
2012年よりFC東京へ完全移籍。シーズン前のスーパーカップやJ1第2節名古屋戦で早々と得点を挙げたことに加え、持ち前のパスとドリブルを織り交ぜた推進力がチームとかみ合ったことで才能を開花させ、ランコ・ポポヴィッチ監督の下でスターティングメンバーに定着。ボランチ、サイドハーフ、トップ下と複数のポジションを柔軟に務め、相手からのプレスを受ける中でも安定した連係プレーで守備網を破った。自身にとって初参戦となったAFCチャンピオンズリーグでの活躍からイラン代表の候補にもリストアップされたが、5月、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦に臨む日本代表に初招集された。2013年はFC東京での副主将に就任。同年9月、東慶悟の欠場に併せて左サイドハーフからトップ下へ移ると、躍動感溢れるプレーで同月のリーグ戦連勝を支え、クラブ初となるJリーグ月間MVPを受賞した。シーズン終了後にはFC東京との契約延長を基本合意。
2014年、長谷川が父と慕うポポヴィッチはセレッソ大阪の指揮を執るに当たり、自身の戦術を体現する選手として長谷川獲得を熱望。長谷川も自身の出場機会を重視したことで移籍へと翻意し、1月に同クラブへの完全移籍が発表された。攻撃陣との好連携を築き、J1第4節鹿島戦では強烈なミドルシュートを突き刺して移籍後初得点を記録した。その後はチームの不調もあって中盤でバランスを取る役割を強いられ、苦心のプレーが続いた。
2015年7月、ポポヴィッチが指揮するリーガ・エスパニョーラセグンダ・ディビシオンのレアル・サラゴサへ完全移籍。同年8月の開幕節ミランデス戦で早速フル出場。
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