鈴木貴久の出身高校
鈴木貴久 プロ野球選手
- 鈴木貴久卒業高校
- 旭川大学高校 偏差値 北海道高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1528位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1963年11月20日生まれ
鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2004年5月17日)は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(外野手)。
高校2年時の1980年に開催された第62回全国高等学校野球選手権大会において、北北海道代表・旭川大学高校の一員として出場。同校は北北海道代表校として初めて2勝を挙げた。高校卒業後、社会人野球の電電北海道を経て、1984年のプロ野球ドラフト会議にて5位で指名した近鉄バファローズに入団した。
1987年から4年連続20本塁打以上を打つ強打者として名を馳せ、出身地から「北海の荒熊」の愛称で親しまれた。打席ではファンから「道産子パワーだ、タ・カ・ヒ・サ」と応援された。
1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテオリオンズとのダブルヘッダーでは、第1試合の9回表二死二塁の場面で二塁走者として梨田昌孝の適時打でホームインし、決勝点となる得点を挙げた(第2試合に引き分け優勝は逃した)。(→10.19)
2000年に引退したあとも二軍打撃コーチとして近鉄に留まり、若手選手の育成に努め、大西宏明らを発掘した。だが2004年5月17日未明、急性気管支炎のため40歳の若さで急逝。前日には早退こそしたものの、球場に顔を出し、愛犬の散歩もしていた。告別式の出棺の際には、同い年で共に近鉄でプレーした金村義明が号泣していたという。
現役時代の外野守備は、怪我を恐れないプレースタイルだった。客席に飛び込むことやフェンスにぶつかることも恐れなかった。近鉄の9年ぶりのリーグ優勝が懸かった1989年10月14日の福岡ダイエーホークス戦では9回表、フェンスに激突しながらも打球を好捕し、大喝采を浴びた。1987年のシーズンオフに放送された『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』(フジテレビ)に出演した際には、自分のプレーが映し出された後「(ボールを追うのに夢中で)フェンスは見えていない。気が付いたらフェンスの向こう側に行っていた」と語り、審査員だった土橋正幸から「(今では)珍しいプレー。飛び込めと言われてもなかなか飛び込めない。素晴らしい」と賛辞を受けていた。
開幕戦に強く、本塁打を1990年、1996年、1997年に打っている。このうち1997年は大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)公式戦初本塁打であり、そのボールが入った箇所には記念プレートが付けられている。また、1989年の日本シリーズでも第1戦に斎藤雅樹(読売ジャイアンツ)から本塁打を打っている。
1986年7月13日、1999年9月11日と2度にわたって工藤公康のノーヒットノーランをいずれも本塁打で阻止している(前者は9回で完全試合を阻止、後者は8回)。
コーチ時代は、当時二軍でくすぶっていた大西宏明の打撃センスをいち早く有望視し、熱心に指導をした。大西は鈴木の死後も鈴木を最大の師と仰いでいる。2007年、鈴木の命日である5月17日のオリックス・バファローズ対福岡ソフトバンクホークス戦で大西が同点2点適時打を打った際には、大西は「鈴木さんが打たせてくれた」と語っている。
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