金田政彦の出身高校
金田政彦 プロ野球選手
- 金田政彦卒業高校
- 高田高校 偏差値 新潟県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 868位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1969年4月30日生まれ
金田 政彦(かねだ まさひこ、1969年4月30日 - )は、大分県豊後高田市出身の元プロ野球選手(投手)。
高田高校から社会人野球の日産自動車九州を経て、1992年のドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに入団。
177cm・62kgと非常に細身の選手ながら、147km/hの直球とスライダーを駆使し1年目から1軍で登板、しかし制球難と単調になりやすい投球スタイルから中々定着までにはいかず、1995年にはウエスタン・リーグで最多勝を獲得。
1996年、負け越しはしたものの先発ローテーションに入りし1996年の日本シリーズ第4戦2番手で登板。
しかし翌年はまたしても制球難から登板が激減。
1998年、シーズンの殆どを二軍で過ごしたもののこの頃からチェンジアップやスローカーブ等緩急を交えた投球を覚え制球難も解消され、9月に4勝負けなしで月間MVPを獲得。これが転機となった。
1999年には先発で11勝を挙げオールスターゲーム初出場を果たした。シーズンでも初めて規定投球回数をクリアした。
2000年は怪我で戦線離脱したこともあり6勝6敗、防御率3.51の成績で二桁勝利を挙げられなかった。この頃から慢性的に怪我や不振との戦いになる。
2001年には開幕投手を務めた。同年は前年より安定感を欠き、防御率4.94だったが、8勝5敗と先発としての役割は果たした。
2002年は2度目のオールスターゲーム出場を果たし最優秀防御率のタイトルを獲得するも、味方打線の援護に恵まれず、4勝9敗の成績に終わる。
2003年は4勝5敗の成績で終わり、前年よりも防御率が悪化した。
2004年はさらに成績を落とし、2勝7敗、防御率5.35でブルーウェーブ最終年を終えた。チームも2002年から3年間は最下位に沈んだ。
2005年、選手分配ドラフトにより東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。投手陣が手薄な状況下で25試合に登板し、11試合で先発を務めたが、3勝6敗、防御率6.01と成績は残せなかった。同年は多くのベテラン選手が解雇、引退となったが金田は翌年も残留が決定し、楽天において成績を残せなかったものの残留が決まった数少ないベテラン選手となった。
2006年は2軍で防御率リーグ2位と復活の兆しを見せたが、1軍での登板機会はわずか2試合に終わり、同年9月25日に戦力外通告を受けて現役引退。
翌2007年の1年間、福岡ソフトバンクホークスの打撃投手を務めた。
1998年9月26日の本拠地でのダイエー戦、5-0とリードしてプロ入り初完封目前の9回2死に降板、佐藤義則にマウンドを譲っている。この登板で佐藤義則は500試合登板(史上69人目)を達成した。この年限りで引退する佐藤に球団は引退試合(10月1日)を用意しており、球団は引退試合と500試合登板が同日という捉え方であったが、佐藤は500試合登板と引退試合は別物という認識だった。監督の仰木彬は球団の功労者の意向を尊重し、この試合9回2死から佐藤を登板させた。金田は「佐藤さんの500試合登板の日の先発投手で光栄です」というコメントを残し、プロ初完封勝利を上げるのは1999年5月30日の日本ハム戦まで持ち越しとなった。
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