金沢浄の出身高校
金沢浄 サッカー選手
- 金沢浄卒業高校
- 武南高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 302位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1976年7月9日生まれ
金沢 浄(かなざわ じょう、1976年7月9日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)及びミッドフィールダー(MF)。
小学校1年生(6歳)の時に兄の影響でサッカーを始める。武南高等学校時代は左の攻撃的なウイングとしてプレーし、2度の選手権に出場。1995年に進学した国士舘大学では左サイドバックにポジションを下げて2度の全日本大学選手権優勝を果たすなど活躍。1997年にはユニバーシアードに臨む日本代表に選出され、主将を務めた。
1999年にジュビロ磐田に入団。FWからストッパーまで務めるユーティリティープレイヤーとしてチームプレーに徹し、守備を整えて劣勢を鎮める役割を担って 2度のリーグ優勝に貢献したが、レギュラーポジションを獲得するには至らなかった。
2003年、左サイドの強化を図るFC東京へ移籍。原博実監督によって左SBのレギュラーに据えられると、優れた基本技術と状況判断でチームにフィットし、GK土肥洋一と並びリーグ戦全試合にフル出場。この活躍で出身の入間市からも表彰された。2004年も安定したプレーを続け、同年のナビスコカップ優勝に貢献した。2005年に入って細かな怪我が増え始め2006年にはアキレス腱断裂により長期離脱を強いられた。2007年のJ1開幕戦で復帰。シーズンを通してレギュラーを確保し、チームを支えた。2008年、新加入の長友佑都に左SBを奪われたが、磐田在籍時に経験のあるボランチや、長友不在時の左SBとして出場機会を得た(長友を右サイドに配しての併用もあった)。2009年に入るとボランチでも米本拓司の台頭を受け出場機会を失った。
2009年8月、左SBを固定できずにいた 磐田からオファーを受け、7年ぶりに磐田に復帰。的確なボールポゼッションで時間を作り チームを落ち着かせたが、左SBを本職とするパク・チュホや宮崎智彦の加入により徐々に出場を減らした。
2014年、ザスパクサツ群馬に完全移籍。若いチームを支える精神的支柱として期待を寄せられるも、開幕直前の練習試合で左膝内側側副靱帯を断裂。前半戦をリハビリに費やし、同年7月の第24節北九州戦で移籍後初出場。ボランチに入り高い戦術眼と技術を見せたが、同年11月にプロとしての現役引退を発表した。
2015年、FCフエンテ東久留米に加入。
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