金子哲雄の出身高校
金子哲雄 ジャーナリスト
- 金子哲雄卒業高校
- 慶應義塾高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- ジャーナリストランキング
- 3位 / 60人中 ジャーナリスト別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1971年(昭和46年)4月30日生まれ
金子 哲雄(かねこ てつお、1971年(昭和46年)4月30日 - 2012年(平成24年)10月2日)は、日本の流通ジャーナリスト、プライスアナリスト、中小企業診断士(経済産業大臣登録)。各種メディアに登場する際には、肩書きを「流通ジャーナリスト」に統一していた。マネージメント事務所は株式会社オフィス・トゥー・ワン。
千葉県生まれの神奈川県横浜市育ち。子供の頃より、スーパーのチラシを比較するのが好きだった。そのことが流通ジャーナリストになる理由になった。慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部へ進学。姉二人と弟一人がいたが、いずれも幼くして病死したため、姉弟のぶんも生きようと意識していたという。
大学卒業後の1994年(平成6年)に、株式会社ジャパンエナジー(JOMO、現在のJXホールディングス)へ入社した。
同社と競合する石油会社系列のガソリンスタンドを対象に、ガソリンなどの店頭価格調査に従事していた。しかし、10億円以上の資産を持つ顧客との人脈を築いたことなどをきっかけに、入社からわずか1年でコンサルタントとして独立。1999年(平成11年)からは、「流通ジャーナリスト(兼プライスアナリスト)」という肩書きで、価格調査のセンスやノウハウを生かした記事を流通専門誌や女性誌へ執筆するようになった。小沢一郎政治塾の4期生だった。2009年(平成21年)、京都産業大学大学院経済学研究科(通信教育課程)を修了。
2008年(平成20年)頃から、テレビ・ラジオへの出演を開始。2010年(平成22年)には、レギュラー番組4本の出演を果たしブレイクした。
一般社団法人・丸の内買物研究所の主席研究員を務めた。かつては自身の造語である「国際値切リスト(こくさいねぎリスト)」という肩書を用いていた。
主な著書に、『「値切り」のマジック』(講談社)・『超三流主義』(扶桑社)・『「激安」のからくり』(中公新書ラクレ)などがある。
同業者の間では、通常の氏名・連絡先に加え、似顔絵・スケジュール・月ごとに更新されるプロフィールなどを記入し通常サイズより2倍横長の、週替わりの手製の名刺が評判だった。
2012年(平成24年)10月2日午前1時18分、肺カルチノイドのため、東京都内の自宅で死去。41歳没。金子の訃報に接し、生前に交友があった者たちが追悼のメッセージを発表している。同年11月22日、生前に書き上げた著書「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」が出版された。
死因となった肺カルチノイドは、生前中は公表されなかった。自覚症状はなくCTスキャンで病気が明らかになった。病気が判明したのは2011年6月頃で、親族や事務所関係者、同じ事務所所属で医者でもあるおおたわ史絵などが知っているのみだった。
病名判明以前より相談されていたおおたわは、肺のイラストを見せられたときに精密検査を助言したが、その時点で腫瘍が大きく、手術ができない状況だった。また、亡くなる2週間前に金子からおおたわに送られたメールには「立派な千秋楽を迎えようと思います」と記されていた。病状の進行を抑えるために、『ニンジン12本・グレープフルーツ2個・オレンジ2個・レモン1個』による、特製の野菜ジュースによる免疫力の向上などを行い、病気が判明した2011年8月頃のインタビューでも答えている。
2012年(平成24年)に入った頃から体が急激にやせ、ネット上でも話題になっていたが、睡眠時無呼吸症候群改善のために、食事療法による13キロのダイエットを行ったと話し、病気の事実を隠した。
最後のテレビ生出演は、2012年(平成24年)7月11日に放送されたABCテレビ『おはよう朝日です』。また同年8月13日に放送されたラジオ番組『垣花正のあなたとハッピー!』(ニッポン放送)では、スタジオに酸素吸入器を持ち込み、鼻に管を通した状態で生出演していた。
Twitterの更新は2012年(平成24年)9月28日まで、亡くなる前日の10月1日まで雑誌取材に応じ、死の直前まで仕事をしていた。
存命中、葬儀場や葬儀屋などの葬儀の進行・墓の手配、さらには仕出しなどの準備を自ら行い、2012年9月8日にはケイ・グラントに葬儀の司会を依頼するなどした。
通夜は2012年(平成24年)10月4日、葬儀・告別式は翌5日に東京タワーのふもとにある心光院で開催された。
遺影は、同年4月にそのために撮影されたもので、棺に遺影と同じ服装で納められた。棺の中には、夫婦で長崎県を旅行した時の写真・セブン-イレブンのメロンパンなどが納められた。通夜では生前、金子自ら用意した手紙が参列者に配られた。
戒名は、『慈雲院殿應救哲心居士(じうんいんでんおうきゅうてっしんこじ)』。埋葬場所は、心光院の共同供養塔に埋葬される予定になっている。
葬儀と埋葬地は、東京タワーが情報発信地を意味し、東京タワースタジオは自身が多くの収録を行った地であること、そしてタワーを見たら金子を思い出してもらいたいという願いを意味している。
存命時から葬儀等の準備をしていたことについて、「終活」の例としてマスコミなどで報道された。
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