野澤洋輔の出身高校

野澤洋輔 サッカー選手

野澤洋輔卒業高校
日本大学三島高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
サッカー選手ランキング
685位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1979年11月9日生まれ

野澤 洋輔(のざわ ようすけ、1979年11月9日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。

静岡大学附属小学校・中学校出身。クラブチームでは当初はFWをやっていたものの、小学校5年生時より監督からGKをやらされたのがきっかけでGKとなった。高校2年生になるまではバスケットボールのインターハイの優勝経験を持つ父の影響もありバスケットボールも並行して行っていた。日本大学三島高等学校時代には静岡県選抜にも選ばれていたが、高校2年生時から本格的にサッカーのみに集中し始めたという。

1998年に清水エスパルスに入団するも真田雅則が正GKとして定着しており出番に恵まれなかった。2000年にアルビレックス新潟に移籍すると、当初は吉原慎也、木寺浩一に次ぐ第3GKであったが2001年に吉原が退団すると木寺との争いを制してレギュラーに定着した。2003年にはクラブのJ1昇格、J2優勝に貢献した。その顔立ちと明るい性格で新潟の選手の中ではサポーターからダントツの人気を誇った。新潟の試合時にスタジアムで見られる「わざの野澤」という回文の横断幕や、キックオフ直前にゴールのクロスバーに捕まって行う懸垂はもはやおなじみであった。

全国的な人気もあり、2004年のJリーグオールスターサッカーでは地元の新潟スタジアムでの開催ということもあり、サポーター投票では東軍のGK部門で2位以下を大きく引き離して選出された。西軍として戦った2005年こそ開催地の大分スタジアムでプレーする大分の西川周作に1位の座を譲ったが、再び東軍として戦う2006年は、2位以下に大差をつけて選出された。

しかし自身は4月23日のJ1第9節・福岡戦で0-2と敗れて以降、北野貴之に正GKを奪われる。9月9日の第23節・ヤマハスタジアムでの磐田戦で久々の先発出場を果たしたが、この試合で7失点を喫し、第24節以降は再び控えとなってしまった。この試合に象徴されるように、好不調の波があり、鬼神のごとき活躍でファインセーブを連発するかと思えば、イージーなゴールを許してしまうこともあり、守備の要たるGKとしてはやや扱いづらい選手とも言える。しかし、控え選手となっていながらも腐ることなく練習を続ける様や、サポーターとの交流を積極的に行う様子は正GKの時と変わることなく、サポーターから愛された。

2009年1月6日、新潟時代の恩師である反町康治が新監督に就任したJ2湘南ベルマーレへ完全移籍。同シーズンは過去2年間正GKだった金永基が開幕直前で負傷したためレギュラーの座を掴み、全51試合出場を果たしてJ1昇格の立役者となった。しかし、2010年は椎間板ヘルニアを発症してしまい、さらに復帰後は離脱中に移籍加入した都築龍太に正GKの座を譲る試合も多く18試合の出場に留まった。チームも最下位で1年でJ2で逆戻りとなった。2011年は新加入の西部洋平が正GKとなり、出場なしに終わった。さらにベンチから外れる試合も多く、チームも14位に沈んだ。

2012年より、反町が新監督を務める松本山雅FCに移籍した。初年度はポジションを掴んだが、2013年になるとヘルニアが再発し長期離脱。その間に、白井裕人や村山智彦にポジションを明け渡した。2014年も引き続きヘルニアの治療のため離脱していたが、最終節の水戸ホーリーホック戦で約1年半ぶりとなるリーグ戦出場を果たすと完封勝利に貢献。J1昇格に花を添えた。

2015年よりアルビレックス新潟シンガポールでプレーする。

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