野本喜一郎の出身高校
野本喜一郎 プロ野球選手
- 野本喜一郎卒業高校
- 不動岡高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 450位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1922年5月8日生まれ
野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1986年8月8日)は、埼玉県加須市出身のプロ野球選手で学生野球指導者。
旧制の不動岡中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)卒業。コロムビアを経て1950年、西日本パイレーツ入団。1951年、西日本パイレーツと西鉄クリッパースが合併し、西鉄ライオンズになった。1953年に近鉄パールスへ。同年現役引退。その後東洋大学硬式野球部、埼玉県立上尾高等学校野球部、浦和学院高等学校野球部で監督を務めた。1986年夏の埼玉大会で浦和学院高校が初優勝し第68回全国高等学校野球選手権大会への出場を決めたが、開会式当日の8月8日にすい臓出血で亡くなった。
主な教え子としてプロ野球選手では山崎裕之、会田照夫、仁村徹、鈴木健などがおり、アマチュア野球野球指導者では谷口英規(上武大)、福田治男(桐生第一高)、森士(浦和学院高)、新井浩(伊奈学園高)、斉藤秀夫(北本高)、高野和樹(上尾高)などがいる。
上尾高校の監督から東洋大学監督に就任するとき、当時、上尾高校でエースであった会田照夫を一緒に進学させ、東洋大学を東都大学リーグの一部に昇格させる。常勝、東洋大学の野球部の基礎をつくり上げた。
同じ高校野球界の名監督となった、小嶋仁八郎(元別府緑丘,津久見高校監督。津久見高校を九州唯一の選抜高等学校野球大会と全国高等学校野球選手権大会の両大会を制覇した学校に育て上げた。)は西日本時代のチームメイトに当たる(但し、小嶋は僅か2ヶ月で引退している)。
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