酒井宏樹の出身高校

酒井宏樹 サッカー選手

酒井宏樹卒業高校
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793位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1990年4月12日生まれ

酒井 宏樹(さかい ひろき、1990年4月12日 - )は、千葉県柏市出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・ハノーファー96所属。ポジションはディフェンダー(SB)、 ミッドフィールダー(SH)。日本代表。

年の離れた2人の兄の影響でサッカーを始め、小学3年生の時に地元のクラブチームへ入団。当時はフォワードを務めていた。

小学6年生の時、一度練習に参加したことがきっかけで、柏レイソルの下部組織で練習生としてプレーするようになり、2003年、中学入学と同時に柏レイソルU-15へ正式加入。

吉田達磨の指導の下、酒井、工藤壮人、比嘉厚平、山崎正登、武富孝介、仙石廉、指宿洋史、島川俊郎、畑田真輝という計9名のプロ選手を輩出した柏レイソルユース「黄金世代」の一員として、初めは右サイドハーフ、中学3年生頃から左サイドバックを担当。吉田はディフェンスラインの裏へ出て行くタイミングの良さや、スペースへ入ってくる選手にクロスを合わせる独特の感覚を持っていた酒井の才能を見抜き、あえてオフェンス面には手を加えず、課題のあったディフェンス面やポジショニングを中心に指導を行った。

2006年、柏レイソルU-18へ昇格。同年、U-16日本代表に選出され、フランス遠征を経験した。

高校3年次の2008年、比嘉と共にトップチームの2種登録選手となったが、公式戦出場はなかった。柏レイソルU-18の選手としては、第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会で準優勝を飾ったほか、ビジャレアル国際ユーストーナメントでは、リヴァプール、アヤックス、セルティックといった強豪を破って3位に輝いた。

2009年、工藤、比嘉、山崎、武富、仙石と共にトップチームへ昇格。同年6月、武富と共にサンパウロ州選手権1部・モジミリンECへ留学した。モジミリンでは右サイドバック、センターバックとしてプレーし、特に守備面で大きな経験を得たが、11月の帰国後も公式戦出場は叶わず、J2降格の憂き目に遭った。

2010年、J2第11節ヴァンフォーレ甲府戦で公式戦初出場。J2第32節水戸ホーリーホック戦で公式戦初得点を記録した。主にレギュラー不在時のバックアッパーとして、リーグ戦9試合に出場し、クラブも1年でJ1へ復帰した。

2011年、右サイドバックとしてプレーした練習試合で2アシストを決めたことがきっかけとなり、J1第7節大宮アルディージャ戦に先発出場。それまではセンターバックの選手と見做されていたが、右サイドでレアンドロ・ドミンゲスと強力なコンビを形成してレギュラーに定着すると、一気に大ブレイク。同年5月、U-22日本代表に初選出され、10月にはA代表にも初選出された。最終的にリーグ戦27試合に出場し、Jリーグ史上初となる昇格初年度でのJ1優勝を達成。Jリーグベストイレブン、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を同時受賞した。2011 FIFAクラブワールドカップでも全4試合に出場し、サントスFC戦で得点を記録。同監督のムリシ・ラマーリョから称賛を受けたほか、FIFA公式サイト上で茨田陽生と共に「柏の誇るヤングスター」と紹介された。

2012年、前年の活躍により、FIFA公式サイト上でチアゴ・アルカンタラ、ユリアン・ドラクスラーらと共に「2012年注目の若手選手13人」として取り上げられ、ボルシア・ドルトムントなど7、8の海外クラブから獲得オファーが舞い込む争奪戦となったが、最も獲得に熱心だったドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96への移籍を決断。柏でのラストゲームとなったJ1第16節ガンバ大阪戦を6-2の圧勝で締め括り、ドイツへ渡った。

2012年7月1日、移籍金約100万ユーロ(1億円)でハノーファー96へ移籍。契約期間は3年間、プラス1年のオプション付き。入団直後にクラブを離れて参加したロンドン五輪では、初戦スペイン戦で左足首を捻挫。1次リーグ2試合を欠場した後、決勝トーナメントからスターティングメンバーに復帰し、ベスト4まで勝ち進んだが、惜しくもメダル獲得を逃した。

2012-13シーズン、UEFAヨーロッパリーグ予選プレーオフ第2戦シロンスク・ヴロツワフ戦で移籍後公式戦初出場。ブンデスリーガ第4節ホッフェンハイム戦でブンデスリーガ初出場を果たした。ロンドン五輪参加のためシーズン前のキャンプに参加できなかったことに加え、ブンデスリーガのプレースピードの速さや、柏時代とは大きく異なるチーム戦術への適応に苦しみ、試合に出られない時期が続いたが、シーズン終盤には出場機会を増やし、右サイドハーフとして先発した第33節レバークーゼン戦でブンデスリーガ初アシストを記録した。

2013-14シーズン、スティーブ・チェルンドロの負傷離脱もあり、開幕から右サイドバックの定位置を確保。第11節ヴェルダー・ブレーメン戦でゴール正面約30メートルの距離から強烈な無回転シュートをネットに沈め、ブンデスリーガ初得点を記録した。冬のリーガ中断期間に期限付き移籍で加入したチェコ代表のフランティシェク・ライトラルにもポジションを譲らず、右膝蓋腱炎を抱えながら出場を続けていたが、チームの1部残留確定後は休養した。

2014-15シーズン、一時期控えに回ることもあったが、シーズン終盤はスタメンに復帰し存在感を見せた。

2012年5月23日、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦で国際Aマッチ初出場。その後は同じ右サイドバックを務める内田篤人と出場機会を分け合いながら、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選、FIFAコンフェデレーションズカップ2013などに出場した。2013年11月19日に開催された国際親善試合ベルギー戦では、得意のクロスボールから柿谷曜一朗の先制点をアシストし、3-2の勝利に貢献した。2014 FIFAブラジルワールドカップのメンバーにも選出されたが、本大会での出場機会はなかった。

2015年3月27日、キリンチャレンジカップのチュニジア代表戦で代表復帰。

スピーディーかつダイナミックなオーバーラップと、右足から放たれる鋭利な高速クロスが持ち味のサイドアタッカー。2011 FIFAクラブワールドカップにおけるプレーは、FIFA公式サイト上で「日本版ダニエウ・アウヴェス」、イタリア紙ガゼッタ・デロ・スポルトからは「右サイド版長友」と喩えられた。

185cmという、日本人サイドバックとしては恵まれた体躯を持ち、外国人選手との激しいフィジカルコンタクトにも屈しない。高い身体能力は、柏レイソル時代のフィジカルコーチであるカルロス・アルベルト・ピメンテウから「アジリティー、パワー、スピード、持久力、どれもパーフェクトに近い。どんなフィジカルコーチでも、ああいう選手と仕事をしたいと思うだろうね」と絶賛されている。

つま先を外側に開き、膝を高く上げる独特のフォームから放たれる高速のクロスボールは、しばしば彼の代名詞として語られる。ユース時代のチームメイトである工藤壮人は「酒井はあのクロスをジュニアユースの頃から蹴っていた」と証言している。

高速クロスを上げる際は、本人曰く「人に合わせるよりもスペースに出すような」イメージで、右足のインサイドでボールの側面をこすり上げ、内側に回転をかけている。回転のかかったボールは相手ゴールキーパーから逃げるようにカーブの軌道を描き、ゴール前で急速に落ちていく。

また、振り抜かれる右足のモーションが小さく、対面する相手をかわし切る前でも自分の間合いに持ち込めば蹴ることが出来るため、ブロックを受けにくい点も特長である。

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