赤松貞雄の出身高校
赤松貞雄 政府高官
- 赤松貞雄卒業高校
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- 政府高官ランキング
- 95位 / 192人中 政府高官別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
赤松 貞雄(あかまつ さだお、明治33年(1900年)5月21日 - 昭和57年(1982年)8月16日)は、日本の陸軍軍人。歩兵第157連隊長・陸軍省軍務課長の他、東條英機陸軍大将 大将の元、陸軍大臣秘書官 陸相秘書官・内閣総理大臣秘書官 首相秘書官を歴任する。階級は陸軍大佐。小松崎力雄陸軍少将は兄。陸軍大佐小松崎清職の三男として秋田に生まれ、後に赤松久吾の養子となる。京華中学校・高等学校 京華中学校で学び、仙台地方幼年学校(33期)、陸軍中央幼年学校経て大正11年7月陸軍士官学校 (日本) 陸軍士官学校を卒業する。同年10月少尉 陸軍歩兵少尉に任官され、歩兵第1連隊附を命ぜられる。大正14年10月中尉に進級し、昭和6年12月陸軍大学校に入校する。昭和7年4月の大尉進級を経て昭和9年11月陸大を優等の成績で卒業、歩兵第1連隊中隊長を補職される。昭和10年12月から教育総監部附勤務を命ぜられ、翌年12月から教育総監部課員に変わる。昭和12年8月少佐に進級し、同11月から大本営参謀を命ぜられる。昭和13年7月24日陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官を命ぜられ、板垣征四郎陸軍大臣に仕える。昭和14年3月31日中佐に進級し、フランス駐在を命ぜられ、9月のスイス駐在を経て昭和15年7月22日第二次近衛内閣に於いて東條英機中将が陸軍大臣として入閣し、赤松はその秘書官を命ぜられ、陸軍省副官を兼ねる。昭和16年10月15日大佐に進級し、同10月18日東條大将(中将より進級)が内閣総理大臣に就任すると内閣総理大臣秘書官を命ぜられる。昭和19年に東条首相が退陣すると7月24日から陸軍省軍務局軍務課長に就任、翌年の昭和20年2月20日、南京に屯在していた第61師団 (日本軍) 第61師団隷下の歩兵第157連隊長に就任する。師団は根拠地を上海に移し赤松の連隊もまた転進、上海で連合軍の上陸に備え陣地構築を行っているところ終戦を迎える。昭和21年4月復員。
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