賀川浩の出身高校
賀川浩 サッカー選手
- 賀川浩卒業高校
- 三重県立神戸高校 偏差値 三重県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 462位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1924年12月29日生まれ
賀川浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - )は兵庫県出身の元サッカー選手、スポーツライター。元サッカー日本代表選手の賀川太郎は実兄。
神戸一中2年にサッカー部にマネージャーとして入部、5年時にはFW選手として 全国大会を制覇。その1ヶ月後に第二次世界大戦が始まった。戦争末期には特別攻撃隊に志願し、出撃数日前に終戦を迎えた。
復員後神戸商大、大阪サッカークラブなどの黄金時代に選手として活躍し、優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などを経験した。
スウェーデンヘルシンボリのクラブチーム来日時に依頼され京都新聞に記事を書いたことがきっかけで1952年から産経新聞のスポーツ記者になる。産経在籍時「中学生の息子(岡田武史)が”ドイツへ渡りプロサッカー選手を目指す”と頑を張り困っている」という親からの相談を持ちかけられ、賀川が岡田少年を窘めて収まった。 1975年から10年間のサンケイスポーツ編集局長(大阪)などを経て1990年からフリーランスとなる。2007年より日本サッカーミュージアムの協力のもと、「日本サッカーアーカイブ」をプロデュースしている。2010年8月17日、日本サッカー協会より第7回の日本サッカー殿堂に特別表彰として選ばれた。
2014年4月に自身のサッカー関連蔵書が神戸市立中央図書館に受託され、「神戸賀川サッカー文庫」として公開される。
2015年(平成27年)1月12日、FIFA会長賞受賞。
取材歴はワールドカップ10回、ヨーロッパ選手権5回、南米選手権1回。サッカーライターとしては現役最年長。ワールドカップの認知度が非常に低い頃から「サッカーは世界で一番愛されているスポーツ」と語っていた。今や日本サッカー史を語らせれば右に出る者のない生き字引・ご意見番ともいえる存在であり、武智幸徳は「人間国宝」と評した。
岡田武史は中学3年生の時に賀川と会っている。当時ドイツへサッカー留学したいとダダをこねる岡田を説得させようと訪ねさせ、「全然ダメだからせめて高校を出ろ」と一喝した。また、セルジオ越後が少年サッカーのコーチに就く際に資格未取得が問題となったが、当時協会の技術委員だった平木隆三を「ルールなんか自分らに合わせたらええ」と説得し、特別認定コーチという資格を与えさせた。殿堂入りパーティーには彼らをはじめ多くの著名人が集まった。
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