谷口浩美の出身高校

谷口浩美 スポーツ選手

谷口浩美卒業高校
小林高校 偏差値 宮崎県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
1362位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
女性

谷口 浩美(たにぐち ひろみ、男性、1960年4月5日 - )は、元マラソン選手。東京電力長距離・駅伝チーム監督、東京農業大学陸上競技部助監督を歴任。宮崎県南那珂郡南郷町(現日南市)出身宮崎県立小林高等学校-日本体育大学体育学部体育学科卒。

マラソンの自己最高記録は 2時間7分40秒(1988年・北京国際マラソン)で、日本男子歴代6位。

小林高校では1976年から全国高等学校駅伝競走大会(全国高校駅伝)に3年連続出場し、1977年-1978年に2連覇。日体大進学後には箱根駅伝(57回〜59回)で2年次より3年連続で6区を走り、いずれも区間賞を獲得した。特に3-4年次には当時の区間記録を2年連続で更新して「山下りのスペシャリスト」と呼ばれ、1983年第59回大会での日体大総合優勝9回目の原動力として活躍した。

旭化成陸上部に進んだ後も、1985年の別府大分毎日マラソンで初マラソン初優勝を皮切りに、1987年に東京国際マラソン優勝、ロンドンマラソン優勝を達成。しかし1987年の福岡国際マラソン(翌1988年のソウルオリンピック男子マラソン代表選考レース)では優勝した中山竹通のハイペースについてゆけず6位と完敗。1988年の東京国際マラソンで選考レースに再挑戦するも、レース前に嘔吐する体調不良も響いて9位に敗れ、ソウル五輪代表には選出されなかった。

しかし1988年10月の北京国際マラソンでは優勝したアベベ・メコネンに僅か5秒及ばなかったが、マラソン自己ベスト記録となる2時間7分40秒の世界歴代7位(当時)で準優勝を果たした。1989年には東京国際マラソン優勝、北海道マラソン優勝、1990年にもロッテルダムマラソンで優勝など好成績を残した。

1991年9月に開催された世界陸上東京大会男子マラソンでは気温30度を超すコンディションの中、38km過ぎからスパートして先頭集団を抜け出しそのまま1位でゴール。日本人では世界陸上大会史上初となる金メダルを獲得した。2014年現在、世界陸上選手権で優勝した日本人男子選手は谷口と室伏広治だけである。

1992年のバルセロナオリンピック男子マラソンでは優勝候補の1人とされていたが、20km過ぎの給水地点で後続選手に左足シューズの踵を踏まれて転倒し、さらにシューズが脱げて履き直すアクシデントに見舞われ30秒余りのタイムロスを負ったことが大きく影響し優勝争いから脱落。しかしレース後半で順位を上げ結果8位入賞を果たした。ゴール後のインタビューで、苦笑いを浮かべつつも「途中で、こけちゃいました」「これも運ですね。精いっぱいやりました。」とコメントした。

以降のフルマラソン出場レースでは優勝を果たせなかったものの、これまでの実績が評価されて1996年のアトランタオリンピックに五輪二大会連続出場を果たし、選手団主将も務めた。しかし同五輪の男子マラソンは日本人トップではあったが、入賞争いには絡めず19位に終わった。

1997年に現役を引退、旭化成陸上競技部コーチとなり指導者への道を歩む。1999年にヘッドコーチに昇格した後、2001年に沖電気陸上競技部(2009年3月に廃部)に移り助監督、2002年に監督に就任した。

2008年4月より、東京電力 長距離・駅伝チーム監督に就任。2009年には同チームを全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)初出場に導いた。

2010年9月末をもって、同チームの監督を退任した。

2011年4月1日、東京農業大学の陸上競技部助監督として就任。また同大学の国際食料情報学部准教授へ就任。

2012年1月末をもって、同大の陸上競技部助監督および准教授を退任した。

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