西邑昌一の出身高校
西邑昌一 サッカー選手
- 西邑昌一卒業高校
- 甲陽学院高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 26位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1911年11月30日生まれ
西邑 昌一(にしむら しょういち、1911年11月30日 - 1998年3月22日)は、日本のサッカー選手、および指導者。兵庫県出身。辰馬学院甲陽中学校、関西学院大学および早稲田大学卒業。
選手時代はフォワードを務めた。早稲田大学に在籍していた1934年、第10回極東選手権にサッカー日本代表として出場。2戦目のフィリピン代表戦で得点を挙げ、勝利に貢献した。また1936年のベルリンオリンピックの日本代表メンバーにも名を連ねた。
その後指導者となり、国際大会に臨む代表チームの指導にあたるなど、日本サッカーの強化に尽力。1956年からは関西学院大学体育会サッカー部を指揮し、関西学生リーグ・東西王座決定戦で優勝に導いたほか、関学クラブを率いて天皇杯も獲得した。
1976年から1980年まで読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)の監督も務めた。
1998年3月22日、兵庫県明石市で肺炎により死去した。
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