衛藤晟一の出身高校

衛藤晟一 議員

衛藤晟一卒業高校
大分上野丘高校 偏差値 大分県高校偏差値ランキング
議員ランキング
228位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1947年10月1日生まれ

衛藤 晟一(えとう せいいち、1947年10月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、内閣総理大臣補佐官(国政の重要課題担当)、自民党大分県連会長。過去に、自民党参議院幹事長代行、衆議院議員(4期)。

大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校を経て、大分大学経済学部に入学。大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で保守派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。

日本青年協議会の組織候補。

1973年、大分市議会議員に当選。1979年には大分県議会議員に当選し、2期務めた。

1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1990年2月、第39回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・塩谷立・細田博之・古屋圭司・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦など)。3期連続当選したが、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では民主党の釘宮磐に敗れ、比例区でも復活できずに落選した。

2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では無所属(民主党推薦)の吉良州司に敗れたが、比例九州ブロックで復活当選。2004年9月、厚生労働副大臣に就任。2005年7月5日の郵政国会では、造反して反対票を投じたため副大臣を罷免された。同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、自民党大分県連が衛藤の公認を申請していたが、自民党本部は佐藤錬の公認を決定した。衛藤は無所属で大分1区から出馬したが、民主党に入党していた吉良に再び敗れ落選。

2007年(平成19年)7月29日の第21回参議院議員通常選挙で比例区からの立候補を希望し、自民党に公認を申請したことが引き金となって前年末に続く郵政造反組復党問題が起こる。党内では前年末の「造反組議員」復党で内閣の支持率が下がったことなどから根強い反対意見も有ったが、総裁・安倍晋三が自民党の総裁推薦候補(自民党には比例代表選挙に際して総裁が自らの推薦候補を1名だけ指名できる慣例がある)を衛藤にすることに強い意志を表明した。自民党党紀委員会では賛成10票、反対7票という異例の多数決となったが、復党が実現して比例代表候補となった。

地盤が狭い元衆議院議員が参議院比例区に立候補する場合、通常は地元の票固めを行う。しかし衛藤の支持層を比例区で取り込もうと考えていた公明党への配慮から、自民党本部は復党にあたって地元大分での選挙活動を認めないなどの厳しい制約を課した。衛藤は福岡県に選挙事務所を置こうとしたが、公明党はそれについても「九州内では意味がない」と反発したため、最終的に東京・渋谷に選挙事務所を置くことになった。2007年6月11日に東京で開かれた「えとうせいいち君を激励する会」では、文部科学大臣の伊吹文明や自民党幹事長の中川秀直、政調会長の中川昭一などが支援を表明した。地元大分で活動できない中、202,314票を獲得して党内13位で当選。

2007年12月12日、参議院本会議において野党提出の郵政民営化凍結法案の採決で棄権したため、自民党参議院議員会長の尾辻秀久から厳重注意処分を受けた。衛藤は「ボタンの押し忘れ」などと主張した。

2008年(平成20年)4月14日、自民党大分県連により、県連復帰が承認された。これに対して、公明党大分県本部代表で当時県議だった竹中万寿夫が同日の自民党県連年次大会出席を急遽取り止めた。竹中は衛藤の県連復帰により、「自公の信頼関係が崩れ、今後の自公協力が厳しくなる」と述べた。

2010年(平成22年)1月、議員グループのぞみに参加。自民党障害者特別委員長を務める。2011年、自民党参議院幹事長代行に就任。2012年12月、第2次安倍内閣の内閣総理大臣補佐官(国政の重要課題担当)に就任。

2013年(平成25年)4月23日、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会の一員として靖国神社に参拝。

同年7月21日、第23回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し204,404票を獲得して党内10位で再選。

1994年、羽田内閣の総辞職後の内閣総理大臣指名選挙について、総裁の河野洋平や幹事長の森喜朗が日本社会党委員長の村山富市を推したため、自民党両院議員総会は大いに紛糾した。しかし、旧大分1区で村山と直接のライバル関係にあった衛藤が賛意を表明したことから、議論の流れが大きく変わり、村山首班指名で決着した。この結果、自社さ連立政権が成立し、自民党は11ヵ月ぶりに政権に復帰した。

安倍晋三とは「盟友中の盟友」とされる。1993年に衛藤が再選した時、安倍は初当選の新人議員だったが、共に憲法改正や教育問題、歴史認識に関して政治理念が一致していたため、行動を共にすることが多かった。衛藤は自民党社会部会長を務めていた頃、安倍を厚生行政に関わらせるように動いた。1999年、それまでポストに恵まれなかった安倍は小渕内閣の改造・党人事で社会部会長(現・厚生労働部会長)に抜擢された。

衛藤は第44回衆議院議員総選挙の際に自民党を離党し、選挙で落選したが、第1次安倍内閣が発足すると、首相に就任していた安倍の強い意向により、落選者としては唯一自民党に復党した。

2013年(平成25年)7月21日執行の第23回参議院議員通常選挙で、衛藤は比例区において、全国から20万4,000票以上を獲得し当選したが、香川県高松市においては衛藤の得票数ゼロという、奇妙な集計結果が出た。

安倍晋三首相が2013年12月26日におこなった靖国神社参拝に米国政府が「失望」を表明したことについて、2014年2月16日に『約束を果たした首相の靖国参拝』の題名でYouTubeに投稿した動画で、「我々の方が失望した」という内容の批判をおこなった。衛藤は動画の中で、安倍の靖国神社参拝前に、自身が2013年11月の訪米や同年12月初旬の米国大使館訪問で参拝への理解を求めていたことを説明し、「安倍政権は、民主党政権で崩れた日米関係修復に非常に大きな力を割いてきた。米国は同盟関係にある日本をなぜ大事にしないのか」「米国はちゃんと中国にものが言えないようになりつつある。米国の声明は、中国に対する言い訳にすぎない」とアメリカ合衆国を非難した。

2月19日、菅義偉官房長官は、衛藤の発言について「(衛藤氏の)個人的見解だ。日本国政府の見解ではない」と述べた上で、衛藤に発言の取り消しを指示したと述べた。同日、衛藤は発言を取り消し、動画を削除した。

米国務省の副報道官は、「日本政府は個人的見解であり政府見解ではないと説明している」として、問題視しない考えを示した上で、安倍の靖国神社参拝に「失望」声明を出したことについては、「米国の立場は明確だ」とも述べた。

衆議院厚生労働委員長在任中の2004年5月14日、国民年金保険料の未納が判明した。議員年金に加入すれば同時に国民年金にも加入していることになるものと誤解していた衛藤は、衆議院議員に初当選した1990年2月から11年11か月間、保険料を納付していなかった。

2005年の衆議院選挙において、大分市内の住宅街で法定外の文書を配布したとして、衛藤の運動員が3名逮捕された。

2011年5月24日、自民党本部で開かれた同党外交部会で、外務省アジア大洋州局審議官の北野充が横を向いて同僚と話した瞬間に激高し、「いい加減にしろ。本気で国益を守ろうと思っているのか」と叫んで、数メートル離れた場所からコップの水を浴びせ掛けた。「自分が話している最中に横を向いていた」とのこと。内閣総理大臣(当時)の菅直人が日韓首脳会談において大韓民国の国会議員が北方領土を訪問する計画を立てていたことに言及しなかった理由について、北野は「事実関係を確認中だった」と答えていた。

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