藤永佳子の出身高校
藤永佳子 スポーツ選手
- 藤永佳子卒業高校
- 諫早高校 偏差値 長崎県高校偏差値ランキング
- スポーツ選手ランキング
- 420位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1981年8月15日生まれ
- 血液型
- O型
藤永 佳子(ふじなが よしこ、1981年8月15日 - )は、日本女子の陸上競技元選手・現教職員・指導者。専門は長距離走・マラソン。身長171cm、体重55kg。血液型O型。趣味は旅行。好物はみかん。
長崎県立諫早高等学校時代から、駅伝・トラック種目等で注目された大型女子選手だった。その後筑波大学へ進学し、大学卒業後は資生堂ランニングクラブに所属。2009年4月から2012年3月まで資生堂女子陸上競技部のキャプテンを務めていた。
長崎県北松浦郡佐々町生まれ。1994年、佐々町立佐々中学校入学後から陸上競技を始める。
1997年、諫早市に転居し、県立諫早高等学校に進学。諫早高校の陸上部はこの頃から県内有数の強豪校となっていたこともあり、全国高等学校駅伝競走大会で2・3年次には2年連続1区区間賞を獲得。また、高校総体での活躍もあり、在学中から日本代表として世界的に活躍した。さらに1999年には高校3年生で、世界陸上選手権の日本女子長距離代表に選出、同大会の予選レースに出走した。
特に1999年の世界クロスカントリー選手権ではジュニア女子で銅メダルを獲得。これはクロスカントリー種目世界大会で日本人唯一のメダルである。
2000年、筑波大学に進学。その年、日本選手権女子5000mで優勝するなど将来を嘱望されたが、3年次以降は度重なる怪我などにより足踏みが続いた。大学を卒業した2004年、資生堂に入社。一部のチームメイトが路線の違いからセカンドウィンドACを設立して退社した際も残り、以後は弘山勉・晴美夫妻の指導を受けるようになった。
初マラソンとなった2009年3月の名古屋国際女子マラソンでは終始先頭集団に食らいつき、途中3度も離されながら土佐礼子を彷彿させる粘りを見せる。そして36.9Km地点でトップを走っていた新谷仁美を追い越した後は独走となり、逆転でのマラソン初優勝を果たした。タイムは2時間28分台と、初マラソンという点を勘案してもさほど良い記録ではなかったが、世界陸上選手権のマラソン日本代表について、各選考レースにおける日本人最上位者を代表内定とするという陸連の規定により、自身10年ぶりの世界陸上代表に内定した。
2009年8月に行われた世界陸上ベルリン大会女子マラソンでは、中盤先頭集団のペースアップについていけず26Km過ぎから後退。結局14位のゴールに留まったものの、女子マラソン団体戦では日本代表の銀メダル獲得に貢献した。
2010年1月の愛媛マラソンにゲストランナーとしてオープン参加、2時間38分台で完走(公式記録・順位は無し)。2011年3月の名古屋国際女子マラソンは、東北地方太平洋沖地震の為に中止、代替レースとして同年4月のロンドンマラソンに出走。30Kmを過ぎてから日本女子の2番手(日本女子トップは赤羽有紀子の6位)を走っていたが後半ややペースダウン、ゴール直前で野尻あずさに惜しくもかわされて、マラソン自己ベスト記録をマークしたが13位に留まった。
2012年8月開催のロンドンオリンピック女子マラソン代表選出を目指し、最後の国内選考会である同年3月の名古屋ウィメンズマラソンに出場。レース序盤の5Km付近で先頭集団から早々遅れ初め、一旦は集団に追いついたものの、12Km地点から再び遅れるとその後は先頭集団から離される一方となり、結局38位に終わった。
2012年4月11日、同年4月30日付をもって資生堂ランニングクラブを退部し、現役を引退する事を発表。資生堂退職後は母校・諫早高校のスポーツ専門員に就任。同高校の陸上部コーチを務めながら、教職員を目指していた。
引退後の2013年1月27日、石垣島マラソンで2時間59分台のタイムながら4年ぶり2回目のマラソン優勝を達成。同年2月24日は、東京マラソンに出場し完走。
2014年4月1日付より、諫早高校の保健体育教員へ正式に就任。
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