藤原正典の出身高校
藤原正典 プロ野球選手
- 藤原正典卒業高校
- 岐阜商業高校 偏差値 岐阜県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2239位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1988年1月14日生まれ
藤原 正典(ふじはら まさのり、1988年1月14日 - )は、岐阜県揖斐郡揖斐川町出身のプロ野球選手(投手)。
養基小学校2年の冬から野球を始め、揖斐川中学校では「西濃ボーイズ」に所属。
県岐阜商高では、2年夏に控え投手で第86回全国高等学校野球選手権大会に出場したが登板機会はなく、3年夏は県大会準決勝で敗退。関西学生リーグ所属の立命館大学に進学し、2年秋からベンチ入り。3年春に3試合連続完封を記録し防御率1位。3年秋に6勝を挙げ、最優秀選手、最優秀投手、ベストナインに選ばれた。明治神宮大会では常磐大学をバント安打1本に抑え、11奪三振で完封したが、準決勝で東洋大学に1対3で敗れた。リーグ戦通算32試合登板し16勝4敗、防御率1.48, 192奪三振。最優秀選手1回、最優秀投手2回、ベストナイン2回受賞。
2009年のドラフトで阪神から2位指名を受け、11月26日に契約金8,000万円・年俸1,200万円で仮契約。
2010年には、春季キャンプ中の怪我で出遅れたものの、6月29日の対中日ドラゴンズ10回戦(阪神甲子園球場)で一軍初登板。7月20日の対広島東洋カープ11回戦(甲子園)では、2点ビハインドの10回表1死からの登板で2死を奪うと、その裏にチームが逆転サヨナラ勝利を挙げたことで、一軍初勝利を記録した。シーズン通算では、主にワンポイントリリーフで一軍公式戦24試合に登板した。
2011年にも、ワンポイントリリーフを中心に、一軍公式戦19試合に登板。9月には、先発陣が早々に降板する展開が相次いだため、8試合連続登板を経験した。
2012年には、大阪府出身の一般女性と結婚することを、5月15日に球団を通じて発表した。レギュラーシーズンでは、ウエスタン・リーグ公式戦28試合に登板したが、防御率5.33という成績で終了。シーズン終盤に一軍に昇格したが、5試合に登板したのみで、投球内容も精彩を欠いた。シーズン終了後の12月には、オーストラリアのウィンターリーグに参加すると、通算6試合の登板で11イニングを無失点に抑えた。
2013年には、開幕一軍入りを果たしたが、4月18日に出場登録を抹消。以降も一軍と二軍の往復を繰り返したため、一軍公式戦への登板は10試合にとどまった。シーズン終了後の11月22日には、前年から200万円減の年俸1,000万円(推定)で契約を更改した。
2014年には、シーズン中の7月17日に第1子(長女)を授かった。その一方で、シーズン全体では、プロ入り後初めて一軍公式戦での登板機会がなかった。ウエスタン・リーグ公式戦では、20試合の登板で0勝1敗、防御率3.97の成績でシーズンを終了。シーズン終了後の11月16日には、前年から250万円減の年俸750万円(推定)で契約を更改した。また、この年のドラフト会議での1巡目指名を受けて入団した左腕投手・横山雄哉が背番号「15」を着けることに伴って、自身の背番号を「42」に変更した。
2015年には、ウエスタン・リーグ公式戦23試合の登板で、2勝0敗、防御率3.98という成績を残した。2年続けて一軍公式戦への登板機会はなかったが、レギュラーシーズン終了後のフェニックス・リーグでは、通算9試合・15イニングの登板で1失点と好投。この結果を受けて、球団では10月29日に、従来の支配下選手契約を解除したうえで翌2016年に育成選手として契約することを藤原に打診した。しかし藤原は、「『勝負の年』と考えて目一杯野球に取り組んだ結果が『育成(選手契約への移行)』という評価であれば引退するしかない」として、この打診を拒否。さらに、11月10日の12球団合同トライアウト(草薙球場)への参加を最後に現役を退く意向を球団に伝えた。ただし実際には、2013年から藤原の投球を間近で見届けてきた掛布雅之の説得を受けて、トライアウトへの参加目的を「現役最終登板」から「他球団への現役続行」に変更。打者3人に対するシートバッティング形式で実施されたトライアウトでは、空振りで2つの三振を奪った末に、三者凡退という結果を残した。12月2日、自由契約公示された。
球の出所を隠した投球フォームで投げる最速149 km/hのストレート、およびスライダー、フォークボールが武器。
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