荒巻淳の出身高校
荒巻淳 プロ野球選手
- 荒巻淳卒業高校
- 大分商業高校 偏差値 大分県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2760位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1926年11月16日生まれ
荒巻 淳(あらまき あつし、1925年2月16日-1971年5月12日)は、昭和中期(1950年代-1960年代前半)のプロ野球選手。千葉ロッテマリーンズ 毎日オリオンズを日本一に導いた「和製火の玉投手」と言われた速球派投手である。大分市堀川に鮮魚店の息子として生れる。大分県立商業学校(現・大分県立大分商業高等学校)に進み、1942年夏に文部科学省 文部省主催の「全国中等学校野球大会」に出場する。卒業後、大分経済専門学校(現・大分大学)に進学し、1946年、「全国専門学校野球大会」に出場し、決勝戦で、鳥取農林専門学校(現・鳥取大学)相手に23個の三振を奪って、優勝し注目を浴び、社会人野球の強豪「別府星野組」に入る。1949年、「都市対抗野球」に出場し、エースとしてチームを優勝に導き、「橋戸信 橋戸賞」を受賞する。その頃から、球の速さは抜群で、当時のメジャーリーグ 大リーグ随一の快速球投手ボブ・フェラーにあやかり、「和製火の玉投手」と呼ばれた。
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