若田光一の出身高校

若田光一 宇宙飛行士

若田光一卒業高校
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性別
男性

若田光一(わかた こういち、Koichi Wakata、1963年(昭和38年)8月1日 - )は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属する宇宙飛行士。博士(工学)。菊池寛賞受賞者(2014年)。

これまでにアメリカ航空宇宙局のスペースシャトルやロシア連邦宇宙局のソユーズに搭乗して4度宇宙飛行ミッションを行った。

埼玉県大宮市(現さいたま市北区)出身。大宮市立宮原小学校入学、大宮市立別所小学校(現・さいたま市立大宮別所小学校)卒業、大宮市立宮原中学校卒業、埼玉県立浦和高等学校卒業。九州大学工学部卒業。

1989年3月 、九州大学大学院を修了し日本航空に入社する。1992年4月 旧・NASDAによりミッションスペシャリスト候補に選出された。

スペースシャトル就役当初、NASAはスペースシャトル自体の運用を行うミッションスペシャリスト(MS)資格を外国人に認めておらず、日本人宇宙飛行士は日本の搭載機材のみを操作するペイロードスペシャリスト(PS)に限定されていた。しかし、宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙科学研究所(ISAS)が共同開発した宇宙実験・観測フリーフライヤー(SFU)をスペースシャトルで回収することになり、NASAも外国人にミッションスペシャリストの門戸を開放したため、日本人ミッションスペシャリストを養成して自ら回収操作を行うことが計画された。

1996年1月 スペースシャトル・エンデバー号による「STS-72」ミッションに日本人初のMSとして参加。宇宙空間に浮遊するSFUの回収を行うためには、スペースシャトルに搭載されているロボットアームの繊細な操作が必要であったが、若田はこの技術を修得し、このミッションでSFU回収に成功した。

さらに、国際宇宙ステーション(ISS)建設においても、ロボットアーム操作の腕を買われることになる。2000年10月 スペースシャトル・ディスカバリー号により2度目の宇宙へ。国際宇宙ステーション(ISS)組立ミッション「STS-92」にミッションスペシャリストとして参加。このSTS-92ミッションは、宇宙ステーションの各モジュールをドッキングするために多用される共通結合機構(CBM)を初めて宇宙で使用するという、その後の計画の成否を握る重要ミッションであった。NASAはこの重要な任務に若田を起用し、ドッキングを成功させた。

2003年のコロンビア号空中分解事故以降は、ロボットアームで船体の損傷をチェックするセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)の開発に関わった。また、2004年に九州大学大学院工学研究科で博士号(工学)を取得する。

2009年3月16日、STS-119ミッションにて、日本人宇宙飛行士としては初のISS長期滞在ミッションを開始し、同年7月、日本初の有人宇宙施設「きぼう」の最後の構成部分となる船外実験施設を取り付けた。これにより「きぼう」は開発から20年を経て完成した。

同年7月3日、ISSに停泊中のソユーズTMA-14(18S)に搭乗し、ドッキングポートを変更する移動飛行をした。ソユーズ宇宙船に搭乗したのは、秋山豊寛飛行士に次いで日本人2人目となった。

同年7月31日、STS-127によって4カ月半に及ぶ宇宙長期滞在から帰還した。

同年11月25日、日本人初のISS長期滞在の功績が評価され鳩山由紀夫内閣から内閣総理大臣顕彰を授与される。

2010年3月、NASAのISS運用部長に就任。日本人がNASAの管理職に就くのは初めてとなる。

同年4月、JAXAの宇宙飛行士グループ長に就任する。

2011年2月、第38次/第39次ISS長期滞在ミッションへの参加が発表される。

2013年11月7日、ソユーズ宇宙船(TMA-11M)に搭乗し、4度目の宇宙へ。同日約6ヶ月間の第38次/第39次ISS長期滞在ミッションを開始。第39次長期滞在では日本人初のISSコマンダー(司令官)を務めた。

通算の宇宙滞在期間347日8時間32分は、2014年5月14日時点で日本人最長記録である。

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