若生忠男の出身高校
若生忠男 プロ野球選手
- 若生忠男卒業高校
- 東北高校 偏差値 宮城県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2098位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1936年8月22日生まれ
若生 忠男(わこう ただお、1936年8月22日- 1998年11月9日)は、宮城県出身の元プロ野球選手。1970年シーズンの登録名は若生 忠泰(わこう ただやす)。
東北高等学校時代は若生智男、若生照元と共に「三若生」と呼ばれたが、甲子園には届かなかった。1955年に西鉄ライオンズに入団。3年目の1957年には先発陣の一角として起用され9勝。同年の日本シリーズでも最終第5戦に先発し、チームの日本一に貢献した。その後も長く主力投手として活躍。1964年8月30日の対東映フライヤーズ戦で主審に暴言を吐いたり土を蹴散らすなどし退場処分となった。1966年7月15日から17日に3日連続で救援勝利を記録。1967年9月17日の対阪急ブレーブス戦ではノーヒットノーランを達成。1968年に通算100勝を挙げる。同年オフに読売ジャイアンツに移籍。1969年には3勝をあげ、同年の日本シリーズでも3試合に登板するが、1970年限りで現役を引退した。
引退後、テレビ西日本の解説者(1971年 - 1974年)を経て、1975年に1年間だけロッテオリオンズの一軍投手コーチを務めた。
1998年11月9日逝去。享年62歳。
背番号が見えるくらい全身をひねり、アンダースハンドからキレのいい変化球を投げる独自のフォームで「ロカビリー投法」と呼ばれた。
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