羅門光三郎の出身高校
羅門光三郎 タレント
- 羅門光三郎卒業高校
- 大阪学芸高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- タレントランキング
- 488位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1901年(明治34年)10月10日生まれ
羅門 光三郎(らもん みつさぶろう、1901年(明治34年)10月10日 - 没年不明)は、日本の俳優。本名は岩井 憲次(いわい けんじ)。剣戟映画を得意とする映画会社を渡り歩いた剣戟スターである。
大阪府西成郡今宮町(現・大阪市西成区)出身。成器商業学校(現大阪学芸高等学校)中退。
昭和2年(1927年)、『彼は復讐を忘れたか』(悪麗之助監督)で映画デビュー。同じくして東亜キネマに入社。
昭和6年(1931年)、東亜は東活映画社に資本変更されるが残留。松竹との競作となった直木三十五の代表作『南国太平記』で、主人公・益満休之助を演じる。
昭和7年(1932年)、フリーとなる。その後、富国映画社、宝塚キネマ、極東映画、甲陽映画等を転々。
昭和12年(1937年)、今井映画製作所入社。
昭和13年(1938年)、新興キネマ京都に入る。
昭和17年(1942年)、映画会社の統合策で大映に入社。
昭和21年(1946年)、左眼を失明。
この時期以降活動の中心が主役・準主役から脇役メインになる。
昭和38年(1963年)俳優を引退。晩年は老人ホームに入ったといわれているが、死の詳細については不明である。
出演作品は戦前169本、戦後113本を数える。戦前はスターとして、戦後は主に脇役として出演した。代表作は『鞍馬八剣士』、『南国太平記』四部作(東亜キネマ)。南国の益満休之助 役は生涯7作あり、『鳴子八天狗』4作や『孫悟空』を4作で演じた。芸名の苗字は1925年版『ベン・ハー』主演のラモン・ナヴァロ、下の名前は師匠の光岡龍三郎に由来する。
敗戦直後に失明するが、これはメチルアルコールを呑んだため。
羅門光三郎の関連人物
タレント偏差値ランキング
職業から有名人の出身卒業高校を探す
タレント偏差値ランキング