細山田武史の出身高校

細山田武史 プロ野球選手

細山田武史卒業高校
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性別
男性
生年月日
1986年4月29日生まれ

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細山田 武史(ほそやまだ たけし、1986年4月29日 - )は、鹿児島県出水市出身の元プロ野球選手(捕手)。2015年12月1日からは、トヨタ自動車硬式野球部でプレーを続ける。

大龍小学校3年生から野球を始め、大口中学校では3年春に鹿児島大会ベスト4となった。

鹿児島城西高等学校では1年夏から正捕手となった。2003年・2年夏の甲子園鹿児島大会では鹿児島商業との準決勝で延長12回サヨナラ負けを喫した。2004年・3年夏の甲子園鹿児島大会では全試合フル出場したが準々決勝で鹿児島実業に2対7で敗れた。

スポーツ推薦で早稲田大学スポーツ科学部に進学した。1年春からベンチ入りし、2006年・2年秋には正捕手となり。明治神宮野球大会では宮本賢、大谷智久らをリードしたが決勝戦で亜細亜大学に2対5で敗れた。

2007年・3年時には前年の夏の甲子園で話題となった斎藤佑樹が入学し、入学当初からバッテリーを組み、以後2年間『斎藤佑樹(佑ちゃん)の恋女房』と報道される事が増えた。3年春のリーグ戦では松下建太、須田幸太、斎藤、福井優也らをリードして2季連続の優勝、首位打者(打率.424)とベストナインも獲得した。リーグ戦途中から2番打者となった。全日本大学野球選手権大会は東海大学を破り33年ぶりの優勝となった。6月25日に日米大学野球選手権大会の代表に選出され、日本の優勝が決まった第4戦以外の4試合にフル出場して2勝2敗だった。秋のリーグ戦も制して3季連続の優勝に貢献、ベストナインも獲得した。明治神宮野球大会は決勝戦で東洋大学の大場翔太(後のソフトバンクでの同僚)に完封負けを喫して準優勝となった。

4年夏は6月23日に第4回世界大学野球選手権大会の日本代表に選出された。7月18日からチェコ共和国のブルノ市で行われた同大会では第1戦と決勝戦以外の7試合に出場し、3試合で先発マスクを被った。台湾との1次リーグ第1戦は先発予定だったがユニフォームを宿舎に忘れて急遽大野奨太に変更された。カナダ代表との第2戦では延長11回一死二三塁の場面で自身が右翼へサヨナラ犠飛を放ち勝利した。韓国との第3戦の朝に父の訃報が伝えられ、先発マスクを外されたが4点リードの7回から斎藤佑樹と共に出場、2人で2イニングを無失点に抑え、9回も武内久士と組み無失点に抑え勝利した。韓国との準決勝では斎藤とのコンビでフル出場して9回を1失点に抑えて河原井正雄監督の誕生日に勝利した。決勝ではマスクを被らず、チームは敗れた。

10月30日のドラフト会議で横浜ベイスターズから4位指名を受けた。リーグ優勝が懸かる早慶戦が近いという理由で早稲田大学が記者会見を行わなかった。秋のリーグ戦では先制二塁打などの活躍で慶應大学を破り優勝し、3年春から4季連続でベストナインも獲得した。11月5日に横浜ベイスターズから指名挨拶を受けた。なお1969年の荒川事件以来、同球団と早稲田大学は39年間絶縁状態だった。明治神宮野球大会は準決勝の東北福祉大学戦でフル出場し、先発・斎藤佑樹を8回無失点とリードしたが延長10回同点一死三塁の場面で大石達也がサヨナラスクイズを決められ0対1で敗れた。

11月30日に横浜と契約を結び、背番号は36に決まった。12月12日に大学日本代表でチームメイトだった松本啓二朗、山崎憲晴と共に入団発表を行った。

横浜は前年の正捕手・相川亮二がFA移籍し、阪神から野口寿浩がFA加入し、大矢明彦監督から正捕手候補として期待されていた。キャンプでアピールを重ね、新人ながら同期の松本啓二朗、山崎憲晴と共に開幕一軍入りを果たした。4月4日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で5点ビハインドの5回裏の守備から途中出場し、4人の中継ぎ投手をリードして4イニングを1失点に抑え、プロ初出場を果たした。打撃は吉見一起の前に2打数無安打と抑えられた。野口が開幕マスク4連敗したため4月8日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初となる先発マスクを被り、工藤公康とのバッテリーを組んだが、制球が定まらず本塁打を4本浴び、5イニング8失点で敗戦した。2打席目に福田聡志から二塁打を放ってプロ初安打、その後内藤雄太のゴロで生還して初得点を記録した。先発マスクで2連敗したため再び正捕手は野口に戻ったが、4月下旬から奪い返した。4月24日の対東京ヤクルトスワローズ戦では初めて横浜のエース・三浦大輔とバッテリーを組み8回2/3で無失点に抑え、代わった石井裕也で後続も断ち、捕手としてプロ入り初の完封勝利を果たした。4月26日の同カードでは由規から押し出し四球でプロ初打点を挙げた。4月28日の対阪神タイガース戦では6回1点ビハインド二死満塁の場面で走者一掃の二塁打を放ち、プロ初タイムリー打と初マルチヒットを記録した[49]。5月8日の対阪神戦では三浦が完封勝利し、プロ入り初めて先発投手を完封に導いた[50]。翌日5月9日の同カードでも完封リレーで自身初の連続完封勝利となり[51]、投手陣や首脳陣の信頼を得た[52]。5月18日から無期限休養となった大矢監督に代わって、湘南シーレックスの田代富雄が指揮を執り始めると、新沼慎二と武山真吾の起用機会も増え、6月以降は新沼とのスタメン併用、7月以降は黒羽根利規、武山との併用となっていった。田代体制ではスクイズや盗塁アシストなど小技を見せる機会が増えた[53][54]。5月29日から6月26日の10試合で先発マスクで10連敗した。8月27日の対阪神戦の7回に見逃しと空振りでリーグ31人目となる1イニング2三振を記録した[55][56]。8月下旬以降は打率.160前後で、被盗塁も多くバントミスもあり[57][58]、三浦先発時に2試合連続チームが敗戦したことなどから9月9日に二軍降格となった[59]。降格後の9試合で29打数10安打、打率.345を残したが、9月18日のイースタン・リーグ対千葉ロッテマリーンズ戦の5回フライ捕球守備の際に三塁手・村田修一と交錯し、左太腿を強打して筋挫傷となり、そのまま二軍でシーズンを終え、フェニックス・リーグも不参加となった[60]。最終的にチーム捕手最多となる88試合に出場したが[61]、盗塁阻止率はリーグワーストの.173、打率も.158と課題を残した。チームの盗塁阻止率.181とした張本人であり、セントラル・リーグのチームの盗塁阻止率が2割に満たなかったのは1997年の中日ドラゴンズ以来12年ぶりの失態となった[62]。62試合で先発マスクを被り、フル出場した30試合では17勝13敗、3完封勝利だった。エース・三浦大輔との15試合では7勝6敗だったが、最も多く組んだレス・ウォーランドとのコンビでは18試合で5勝9敗、その他の先発とは29試合で3勝14敗と大幅に負け越し、チームがリーグ最下位(勝率.354)となる一因を作った。

前年正捕手が固定されなかった事もあり球団は橋本将を獲得し、同年から尾花高夫監督が就任した。春季キャンプは発熱で遅れをとったが[63]、途中で二軍キャンプ行きとなったが[64]、開幕は一軍で迎えた。主に橋本を休ませる目的で起用された[65][66]。打率.111だったこともあり6月16日に二軍へ降格された。チームの借金が40を越えた9月28日に再昇格したが活躍する事無くシーズンを終えた。先発マスクは11試合で、フル出場した6試合で4勝2敗だった。なお4月21日から10月3日までの先発マスク8試合でわずか1勝しか挙げられなかった。

開幕を一軍で迎え、抹消される事無く一軍で過ごした[67]。同年もチームは弱く、5月6日の対阪神戦で細山田が10戦ぶりのチーム先制打を打つほどであった[68]。同試合では山本省吾との初バッテリーで結果を出し[69]、プロ3年目にして初のヒーローインタビューを受けた[70]。この日を境に先発出場の機会が増え、5月・6月は武山真吾と併用、7月から新沼慎二が加わり、8月中旬以降は黒羽根利規との併用となった。8月5日の対中日戦では球団が2008年から11連敗していた吉見一起(同年の最多勝)から先制打を含む2安打と活躍して連敗を4で止めた[71][72]。9月28日の対巨人戦では福田聡志からプロ1号となる先制ソロ本塁打を放ったが、それ以外に味方の援護は無く、自身のリードで抑えの山口俊が9回に逆転され敗戦した[73]。10月8日の対阪神戦の9回1点ビハインド二死二三塁の場面で藤川球児(同年の最多セーブ)から逆転の2点タイムリー打を放ってプロ初のサヨナラ打を記録した[74][75]。最終的にチーム捕手最多の54試合で先発マスクを被り、フル出場した22試合では15勝6敗1分け、4完封勝利だった。15試合と最も多く組んだ高崎健太郎とは3勝8敗、加賀繁との8試合で3勝1敗だった。山本省吾とは7試合組み、前述の1勝目の後に6連敗し、山本がリリーフへ配置転換される一因を作った。その他の投手とも目立った成績は残せずチームは4年連続の最下位となった。打撃面では打率が初めて2割台に乗り、勝利打点4はチーム3位の数字だった[76]。守備面では守備率1.000でリーグ1位となった反面[77]、2009年に続きリーグワーストの盗塁阻止率.188と課題を残した[78]。

FAで復帰加入した鶴岡一成、ドラフト2位の高卒新人・高城俊人、強肩の黒羽根の台頭もあり、今季から新しく就任した中畑清新監督からは春季キャンプからシーズン終了まで一度も一軍に呼ばれずに終わった。二軍公式戦でもわずか20試合(捕手13試合)の出場だった[79]。オフは事実上の戦力構想外となり、下交渉の時点で大幅減額を飲むか自由契約かの二択を迫られ、11月22日の契約更改交渉で減額制限を大幅に越える1,100万円ダウン(65パーセント減)の年俸600万円で更改した(金額は推定)[80]。

春季キャンプの前に血栓が原因の右腕血行障害を発症してボールが投げられず、手術を受けて完治したが同年も一軍に上がる事なくシーズンを終えた[81][82]。二軍でも5月・6月は欠場し、公式戦は6試合の出場に終わった[83]。

ブルペン捕手や職員で球団に残る道も提示されたが現役続行を希望したため[81]、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[84][85]。

11月10日に第1回12球団合同トライアウトに参加した[86]。

12月12日に福岡ソフトバンクホークスが育成選手として契約したことを発表し、背番号は125に決まった[87]。なお、2013年12月30日にTBS系列で放送された『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』(TBS制作)では、戦力外通告の直後からソフトバンクへの入団に至るまでの経緯を、細山田への密着取材映像を交えながら紹介した[88]。12月24日に勧野甲輝、松冨倫と共に入団会見を行った[89][90]。

育成選手の主戦である三軍で67試合に出場して159打数39安打、打率.245、2本塁打、14打点だった[91]。主に2番や5番だったが4番を任される試合もあった[92]。二軍公式戦はわずか4試合(捕手3試合)の出場だった。

10月31日に育成選手の規約に則り自由契約公示されたが[93]、11月27日再びソフトバンクと育成選手契約を結んだ[94]。

同年も三軍を中心に出場していたが、3月上旬に前年の一軍正捕手細川亨が骨折、3月下旬に開幕から起用された若手の山下斐紹が靭帯損傷と離脱したため[95]、4月3日に支配下選手登録され、背番号が00へと変更された[96]。球団から連絡を受けたのが4月2日だっため、細山田は「エイプリルフールかと思った」とコメントした[97]。同日一軍へ昇格し、4月18日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリン)で7回の守備から出場して移籍後初出場を果たし、二保旭を2イニング無失点とリードし、三塁ベンチ前でスライディングキャッチする好守も見せた[98][99]。出場機会が無く4月23日に二軍降格となったが、5月中旬に前年の第2捕手の鶴岡慎也が骨折し、首脳陣が交流戦前に捕手3人制にするため5月24日に再昇格を果たした[100]。6月5日の対巨人戦(福岡ヤフオクドーム)で移籍後初・自身4年振りの一軍スタメンマスクを任される[101]と、同点で迎えた4回裏1死2・3塁の打席で、内海哲也から勝ち越しの2点二塁打。この一打によって、一軍公式戦では自身4年振りの安打と打点を記録した。さらに、走者として三塁へ進むと、今宮健太の打席で一塁走者・中村晃とのダブルスチールを敢行。自身5年振りの盗塁となるホームスチールを成功させるなど、1イニングで3点を稼いでチームの勝利に貢献した[102]。このような活躍に対して、ドーム内で観戦していた球団会長の王貞治は、「一生懸命やったら、いいこともあるよね。頑張って野球をやってきて良かったじゃないか」と称賛のコメントを寄せている[103]。なお、10月4日に球団から自身2度目の戦力外通告を受けた[104]が、12球団合同トライアウト(11月10日)には参加しなかった。

2015年11月11日に、トヨタ自動車硬式野球部へ加入することが発表された。選手としてトヨタ自動車に加入したプロ野球経験者は、元・阪神外野手の的場寛一(2006年~2012年に所属)に次いで2人目である。

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