竹内義和の出身高校
竹内義和 その他
- 竹内義和卒業高校
- 和歌山工業高校 偏差値 和歌山県高校偏差値ランキング
- その他ランキング
- 130位 / 179人中 その他別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1955年2月27日生まれ
竹内 義和(たけうち よしかず、1955年2月27日 - )は、作家、コラムニスト、出版プロデューサーである。和歌山県和歌山市出身。妻は作家の竹内眠。主なジャンルとしては昭和がベースとなっており、音楽面では昭和歌謡及びアイドル、フォーク、GS。映画では新東宝、大蔵映画の怪談物、怪獣特撮。テレビでは大映テレビ制作のドラマや白黒時代の勧善懲悪ヒーロー物を得意としている。
兄が一人。幼少時は昆虫採集、怪獣に夢中となり、その怪獣熱が高じ、着ぐるみを着て怪獣を演じるスーツアクターに憧れる。典型的なテレビっ子で『七色仮面』『月光仮面』『スーパージャイアンツ』に夢中となる。女装の男性を見て「ああ見えて金玉デカいんや」、政治家を見て「悪いことばっかりしとるんや」とTVに出ている人物を独自解釈する父親と、息子が大事に所蔵している希少本を「よう燃えるわ」と勝手に風呂の焚き付けにしてしまう母に育てられる。
小学校高学年頃、父親からバイオリンの習得を押し付けられるも数年で挫折。後、フォークブームに感化され当時、多くの若者がそうであったようにギターへと傾倒。中学、高校にかけてSFや娯楽、推理小説を乱読。怪獣からはやや距離を置き、浅田美代子を見てアイドルに目覚める。大阪でしか上映されていなかった映画鑑賞のため、なけなしの小遣いを握り締め和歌山から通い詰める映画少年となる。和歌山県立和歌山工業高等学校在学中に登校するふりをして、家族が全員出払った頃合を見計らい自宅に戻り、朝から晩まで一日中テレビを見続ける。
近畿大学入学。和歌山県在住時、怪獣熱が再燃し同人誌「パラノイア」創刊。2回生の時に大阪へと引越し、大久保怜経営の喫茶店に特撮や映画、レアな代物を持ち寄って自慢したり、アイドルのスケジュールから生理周期を割り出すなど偏執的な嗜好を持つ者らがたむろする一人となり、その中で竹内は「海底人8823」や「ママとあそぼう!ピンポンパン」など番組についての独自解釈を披露し仲間内で「竹内の話は面白い」と評価されるも、多人数で居座り、コーヒー一杯で8時間居座るなどしたために店の回転効率が悪化、ほどなくして喫茶店を閉店に追い込む。パチンコ屋の店員や「万年カレンダー」等の類の怪しい商品を言葉巧みに子供に売りつけるアルバイトに就き、子供が商品を買わされて激怒した親に「金返せ!」と追い回され、下宿先のアパートの部屋で新聞に包まり寝ている己の現状に号泣する等、貧乏な学生生活を送る。大学在学中に公共の施設で映画配給会社から借りた作品上映会の他、怪獣を得意とする編集チーム「コロッサス」を仲間と設立し会誌創刊。後、同大学中退。8年間在籍したが大学に顔を出したのは数回。大学側がロクに講義にも出ず、単位も無い学生として竹内ともう一人の学生二人を呼び出し。竹内に向かって「君は駄目!」、もう一人の学生には「君は合格!」と伝えたため驚愕。
20代半ば、まともな社会人になろうとイベント会社「ファミリー企画」に勤務。特撮ヒーローショー、大アマゾン展、映画の公開イベント等を手がける。半年程勤務し退社、後にビジュアルA&T設立。個人名義で幾つかの特撮、オカルト系出版物の編集・監修に携わり、雑誌『BRUTUS』にコラムを掲載、後、単行本として纏められた『大映テレビの研究』(1986年出版)では、大映テレビへの取材等を行うことなく一視聴者としての独自の視点からの評論が高い注目を集めベストセラーとなる。
タレント北野誠がTVで演じていたスチュワーデス物語のパロディネタに共通するものを感じていた竹内は、ある日、北野出演の番組に「ホラー評論家」としてゲスト出演。収録後の休憩時に、自身のコラムを北野に手渡す。北野の初見での竹内の印象は「胡散臭いおっさん」であったが「オタク」という新しいジャンルのムーヴメントに興味のあった北野は竹内の「秘密の部屋」と称する場所で8時間様々な事を語り合い意気投合。頻繁に会う仲となり北野から共に仕事をしたい旨を明かされ、これを快諾。北野の紹介でいずれも短命であったが数本のラジオ番組の構成、出演をこなし、1988年春「MAKOTOのサイキック青年団」がスタート。1993年、同番組内で、山本リンダのヘアヌード写真集を酷評し山本リンダオフィスが1億円の損害賠償を請求。同番組のパーソナリティの北野誠と共に、マスコミ公開の中で謝罪を行う。
アイドルを付け狙うストーカーを描く『パーフェクトブルー 完全変態』は『パーフェクトブルー』としてアニメ映画化(当初は漫画化の予定だった)される。この頃、自身の映画産業への進出、日本発とする映画ビジネスモデルの開拓に意欲的だった事もあり、岡本晃一、スクリーミング・マッド・ジョージ、テリー・ファンクらと組んで竹内が書いた映画用原作、脚本「バグレディ」「メタルフォース」などパイロット版まで作りハリウッドに売り込むも後々立ち消えとなっており、出演するラジオ番組で事の経過には言葉を濁したままとなっている。放送媒体や自ブログにおいても、映画化、商品開発、興行、共同執筆など数々の企画や事業を掲げるも形になったものは少なく、「未だにどこから収入を得ているのか分からない」と北野誠に心配される。出版の他、トークライブMC、アイドルユニット「推定少女」、マニア向け小売店「おたくの殿堂」のプロデュースを手がけ、2008年、ワイ・シー・トイズ・ラボの取締役を務める。
桑名正博、青木雄二、弘兼憲史、小林よしのりらとは盟友関係にあり、共著も多数。
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