福谷浩司の出身高校
福谷浩司 プロ野球選手
- 福谷浩司卒業高校
- 横須賀高校 偏差値 愛知県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 998位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1991年1月9日生まれ
福谷 浩司(ふくたに こうじ、1991年1月9日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
愛知県知多市出身。知多市立新田小学校1年から少年野球チーム「北巽ユニオンズ」で投手として野球を始める。知多市立東部中学校時代は名古屋緑シャークスボーイズに所属。3年時は主将で主に遊撃手として活躍した。地元の強豪私学からの誘いもあったが、文武両道を目標とする本人の意向で地元の横須賀高校に進学。1年春からベンチ入りし、4番エースであった。
2年冬に愛知県選抜で日米親善高校野球に中川大志(桜丘高校)、小川泰弘(成章高校)らと共に参加し、副主将を務めた。初戦に先発するも3回6失点、2試合9失点の結果に終わる。3年夏の大会、愛知県予選初戦桜丘戦にはプロ8球団のスカウトマンが集結、中川との4番エース対決が注目を集めたが、0-6で敗戦する。打者としての中川を1安打に抑えるも、投手中川には3三振を喫し3安打完封負け。高校通算20本塁打超、投げては最速145km/hを記録し、プロ志望届を提出したが指名漏れとなった。最高成績は2年夏の県大会4回戦で甲子園出場経験は無し。
学年トップクラスの学力を持ち、AO入試で慶應義塾大学理工学部現役合格を果たす。
大学進学・慶應義塾体育会野球部入部後は、1年秋から東京六大学リーグ戦に出場し、対立教大2回戦でデビュー。2回打者6人に無安打2奪三振。2年春に先発、救援で10試合に登板し活躍。優勝に貢献し頭角を現す。秋は防御率1.32(2位)で5勝を挙げベストナインを受賞するも、早大とのプレーオフで敗れ優勝はならず。
3年春に最優秀防御率0.59で絶対的守護神として活躍、勝ち点5での完全優勝を達成。対早稲田大戦で155km/hを記録。3年秋は武器である真っすぐが走らず1勝2敗、防御率2.60と不振に終わる。
4年春も右内転筋痛により出遅れ、主に救援起用。対立教大戦で初先発も自責点2、続く対早稲田大1回戦も自責点3も延長逆転勝利。勝ち星はなし。4年秋は10試合すべて救援登板で、自責点3、防御率1.04で勝敗なし。規定投球回ギリギリで防御率2位。
全日本大学野球選手権大会には2年春(4強)3年春(準優勝)に出場。防御率1.71、被安打率8.20、奪三振率 8.20、四死球率2.05の結果を残している。
2年春は桐蔭横浜大学・東明大貴との投手戦を制し、4安打11奪三振1失点完投で初戦突破。3年春は決勝で東洋大学・藤岡貴裕と投手戦を繰り広げ、福谷は9回までに10安打1失点の力投を見せたが、延長10回裏1死一塁からサヨナラ2ランを浴び優勝を逃した。国際大会には3年夏の日米大学野球に参加し、2試合3回2/3を4安打1失点。
東京六大学リーグでの成績は通算63試合に登板し、225回1/3、10先発5完投、41救援、9勝5敗、182奪三振、防御率1.80。
2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズより1位指名を受け、契約金推定1億円プラス出来高5000万円、年俸推定1500万円で契約し、入団した。背番号は前年まで英智が着用した24に決定した。
2013年、肉離れ(後述参照)のためのリハビリの影響により、開幕から長期離脱を余儀なくされる。そして、怪我が回復した6月8日に一軍登録され、6月9日に一軍初登板。1イニングを三者凡退に抑えた。6月16日の対千葉ロッテマリーンズ戦で2/3回を投げて4失点、敗戦投手になるなど7月7日に一軍登録を抹消。
2014年は開幕より一軍ベンチ入りを果たし主に試合終盤におけるセットアッパーとして起用され、岩瀬仁紀の負傷離脱後はクローザーを任される。8月6日にプロ入り初セーブを挙げ、9月21日には2イニングを投げプロ入り初勝利を挙げるなど、前年のルーキーイヤーを大幅に上回る成績を収めた。
2015年7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。同年オフ(11月30日)に名古屋市内のホテルで行われた選手納会にて、来季より選手会副会長を務めることが発表された。
オーバースローから最速157km/hのストレートとスライダー・チェンジアップを投げる。制球力の低さが課題。
3年春には守護神として優勝に貢献、防御率0.59を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。なお、この活躍が評価され、慶應義塾大学理工学部生の範となる活躍をした学生に贈られる「藤原賞」を受賞した。
慶応義塾大学・江藤省三監督に「勉強が7、野球が3と言っていた。学者が野球をやっているイメージ」と言わせるほど。履修科目の成績は全て「A」だったという。画像工学の研究室に所属、卒業論文のテーマは「野球の中に混在するあいまいさの定量化」であった。
具体的には、球の出所の見づらさの画像研究でリリースの瞬間が見づらい投手として福谷が〝研究対象〟としたのがヤクルトの成瀬善久。モニター上で肩・肘・手首の位置をマーキングして、フォームを解析し、結論として出したのは「体の回転幅を抑えることが〝見づらさ〟につながる」というものである。
入団直後の2012年12月中旬に視力矯正のレーシック手術を受け、右目0.04、左目0.05だった視力が両目とも2.0にまで回復した。指名当日に高木守道監督が春季キャンプ1軍スタートを明言するなど、最速155km/h右腕に対する期待は高い。しかし、昨年3月にした右足内転筋の肉離れが再発し、精密検査とリハビリの為、沖縄キャンプを離脱した。
2013年シーズン終了後、球団によってニックネームを公募することになり、11月30日のファン感謝デーにおいて3つの最終候補の中から、ファン投票によって「福やん」に決定した。
投手記録
その他の記録
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