福家 俊一(ふけ としいち、1912年3月3日 - 1987年4月17日)は、香川県高松市出身の政治家である。衆議院議員選挙に15回立候補したが、選挙に弱く6勝9敗。ニックネームは政界の寝業師、政界の怪物。旧制大阪府立生野中学校(現・大阪府立生野高等学校)卒業、早稲田大学専門部中退。東京憲兵隊本部で甘粕正彦の給仕を務め、1937年上海の国策新聞「大陸新報」社長に就任。1942年旧東京1区から総選挙に出馬し初当選。戦後公職追放、解除後は選挙区を故郷の香川1区に移し日本再建連盟公認で立候補するが落選。1958年政界復帰を果たす。自由民主党 (日本) 自由民主党国会対策副委員長、第2次池田内閣の運輸政務次官を歴任し、清和政策研究会 福田派の参謀として知られたが、1984年10月無派閥となる。1986年の総選挙で落選し、翌年75歳で死去。
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