石川佳純の出身高校

石川佳純 オリンピックメダリスト

石川佳純卒業高校
四天王寺高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
オリンピックメダリストランキング
1位 / 31人中 オリンピックメダリスト別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1993年(平成5年)2月23日生まれ
血液型
O型

石川 佳純(いしかわ かすみ、1993年(平成5年)2月23日 - )は、日本の女子卓球選手。ロンドン五輪日本代表(シングルス及び団体)。山口県山口市出身。全農所属。左利き。O型。

1993年2月23日、山口県山口市に生まれる。両親は共に元卓球選手で、山口市立平川小学校の1年の時に近所で行われていた白石卓球クラブの練習に連れて行かれたのがきっかけに遊び半分で卓球を始め、7歳の誕生日に両親からユニフォームをプレゼントされ本格的に卓球を始めた。元国体選手の母・久美の指導を受け、練習3ヶ月で全日本選手権バンビの部(小学2年以下)山口県予選を2位通過し、本選でもベスト64に入った。才能を確信した両親は、山口市の自宅に卓球場を造った。

母が指導する「山口ジュニアクラブ」で腕を磨き、土日は毎週のように各地で開かれる大会に参加し、大人相手に実戦経験を積んだ。小学校6年で出場した2005年1月の全日本卓球選手権・女子シングルスでは高校生と大学生を破り3回戦進出し、「愛ちゃん2世」として話題になった。

2005年4月から大阪の四天王寺羽曳丘中学校に進学、また福原愛がかつて在籍したミキハウスJSC卓球部に所属し、チームメイトと寮生活をするようになる。2006年の全日本選手権では5回戦まで進出。同年春に日本代表候補入りを果たした。

妹の石川梨良も卓球選手である。

視力が0.1のためメガネを愛用してきたが、2006年からコンタクトレンズに替えた。

岩谷直治、竹下登、岩谷時子は遠縁の親戚。また、元岩手大学農学部学長石川武男は大叔父にあたる。

中学2年で出場した2007年1月の全日本卓球選手権大会では6回戦で高校生の石垣優香を4-0で破り、福原愛以来となる中学生でのベスト8進出。13歳11ヶ月での8強入りは福原の13歳1ヶ月に次ぐ史上2位の年少記録だった。さらに準々決勝で社会人の樋浦令子を4-3で破り、史上最年少でのベスト4入りを果たした。

また、全日本選手権ベスト4により招待されたジャパントップ12卓球大会では予選リーグ初戦で、全日本選手権ジュニアの部決勝で勝利した四天王寺高校の藤井優子に敗れたものの、2戦目で十六銀行の田勢美貴江にストレート勝ちし、ゲームポイント計算で決勝トーナメントに進んだ。 準決勝の対戦相手は同門の先輩であり、2007年の全日本選手権優勝者の平野早矢香で、先に2ゲームを先取するものの、その後4ゲーム連取され逆転負けとなり、ベスト4となった。

2007年2月26日、同年5月からの世界選手権代表(クロアチア・ザグレブ)のダブルスに史上最年少で抜擢された。

2008年1月、全日本選手権シングルで2年連続ベスト4入り。同年2月の世界選手権団体メンバー(5人)にも選ばれた。同年4月、四天王寺高校に進学。1年生のときの全国高校総体(インターハイ)卓球シングルスでは、決勝で同じ高校の先輩の藤井優子を4-0で破り、1年生チャンピオンとなった。1年生のインターハイ優勝は女子では57年ぶりである。

2008~09年の高校1年在籍中の1年間でインターハイ、国体、選抜、全日本ジュニアと高校生レベルの国内4大会を高校1年生にして完全制覇という大偉業を達成した。

2011年1月、全日本選手権シングルで初優勝した。

2015年1月の全日本卓球選手権大会で女子シングルス、ダブルス、混合ダブルスの三冠達成は1960年の山泉和子以来54年ぶり2人目である。

2009年世界ランク99位で出場した世界卓球選手権(個人)横浜大会では、2回戦で世界ランキング10位の帖雅娜(香港)にゲームカウント0-3、第4ゲームも3-9と劣勢の中から大逆転勝ちした。その後も3回戦で福岡春菜、4回戦でユ・モンユ(シンガポール)にも勝ちベスト8入りした。準々決勝では世界ランク1位の張怡寧(中国)と対戦し、1-4とゲームを取る善戦をした。なお、日本人女子選手が世界選手権でベスト8入りしたのは2003年パリ大会の福原愛以来である。同年(09年)の全国高校総体(インターハイ)では、シングルス全試合で1ゲームも落とすことなく優勝し、連覇を果たした。

2010年1月、全日本選手権ジュニア女子の部で優勝し、史上初の4連覇を達成。松平健太とのペアで優勝した混合ダブルスと合わせて、2冠を果たした。5月の世界選手権(団体)で4勝(2敗)を挙げ、日本女子の5大会連続銅メダルに貢献。メダルをかけた準々決勝の韓国戦は3番手として出場し、世界ランク16位の唐汭序をゲームカウント0-2から3ゲームを奪って大逆転した。7月のITTFプロツアー・モロッコオープンではでシングルス初優勝。8月の全国高等学校総体(インターハイ)では女子シングルスを制し、女子で史上初の3連覇を成し遂げた。同年12月の第8回世界ジュニア選手権の女子団体では中国の8連覇を阻止し初優勝をした。ジュニア大会ではあるが、世界タイトルイベントでの日本女子団体種目優勝は1971年世界卓球選手権(名古屋大会)女子団体優勝以来、39年ぶり。

2011年1月22日、全日本卓球選手権大会女子シングルスで初優勝。高校生での全日本女王は1988年の佐藤利香以来4人目。第51回世界卓球選手権個人戦終了後の5月16日付世界ランキングでロンドンオリンピックのシングルス出場が決定。

ロンドンオリンピックのシングルスでは、第4シードとして3回戦から登場し、カンビン・リ(オーストリア)を4-2で下すと、4回戦はチェン・リー(ポーランド)を4-1で、準々決勝は王越古(シンガポール)を4-1で破って、オリンピックのシングルスで日本勢男女通じて初めての準決勝進出を達成。

メダルを賭けた準決勝は第2シードの李暁霞(中国)に1-4で、3位決定戦は馮天薇(シンガポール)に0-4で敗れて獲得はならなかったが、日本勢史上最高の4位入賞。続く福原愛、平野早矢香とともに出場した団体では準決勝でシンガポールを破り、決勝で中国に敗れたものの2位となり卓球界初のオリンピックメダルとなる銀メダルを獲得した。

帰国後の8月17日には生まれ故郷・山口県山口市で石川佳純本人による人力車によるパレードが行われた。山口市の渡辺純忠市長は「世界を舞台に活躍した石川選手は社会に明るい希望と活力を与えた」とたたえ、「市民栄誉賞」の第一号を贈った。

左シェーク・オールラウンド型。ラバーは裏裏で、フォアハンド、サーブを得意とする。 バックはこれまで課題だったが、2007年1月の全日本ではバックでもかなり実力が上がっている事を証明した。予測能力も高く、状況に柔軟に対応できる。

デビュー時に「愛ちゃん2世」とマスコミで取り沙汰されたが、そのプレースタイルは異なる。尊敬する選手は王楠、目標とする選手は郭躍で、どちらも左利きの中国人。

日本代表監督:近藤欽司は、北京オリンピック前には「オリンピック代表候補の選考に入る一人」と語っていた。また、西村卓二(元日本代表監督)は、「福原と同じく日本の宝」とその才能を賞賛している。

芸能人では伊藤英明・倖田來未のファン。特に伊藤については『海猿』のうちわをロンドン五輪の際に持っていったほど。また倖田とは、かつては一ファンとしてライブを見に行っていたが、2014年現在は友達付き合いする仲で、2014年2月に発売された倖田のアルバム『Bon Voyage』には石川への応援曲が収録された。

※最高成績

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