石嶺聡子の出身高校

石嶺聡子 ミュージシャン

石嶺聡子卒業高校
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637位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1975年10月3日生まれ

石嶺 聡子(いしみね さとこ、1975年10月3日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター。沖縄県那覇市出身。

1975年10月3日、沖縄県那覇市に三人姉妹の三女として生まれる。ビートルズやカーペンターズ等の洋楽から、レベッカやユニコーン等の邦楽まで、様々な音楽が溢れる音楽好きの家庭に育つ。10歳頃からプロの歌手を夢見るようになる。

1992年9月、首里高校2年生時に琉球放送代表として出場した「第16回長崎歌謡祭」でグランプリを獲得したのを機に、東芝EMIの篠木雅博プロデューサーにスカウトされる。高校卒業後、アメリカ・ロサンゼルスでボイストレーニングとダンスレッスンを受けた後、1994年11月9日に『土曜日とペンと腕時計』でデビュー。

翌1995年3月、『第5回NHK新人歌謡コンテスト』に出場し優勝。同年、映画『ひめゆりの塔』主題歌として喜納昌吉の代表曲『花』をカバー。新人歌謡コンテスト優勝者としてこの年の『第46回NHK紅白歌合戦』に『花』で出場し、CD売り上げが50万枚を越えるロングランヒット。さらに翌1996年3月、インドネシア・バリ島で開催された「第1回アジア音楽祭」で『Asian Dream』を歌いグランプリを獲得する。

しかし『花』が大ヒットしたものの、『花』のイメージが先行して悩み、その後は自身の理想の歌を追い求めていく(後述)。

1999年、想いを形にすべく作詞・作曲活動を始める。シンガーソングライターへの転向を図る。2000年12月6日に約2年ぶりのシングル『マフユノハナビ』、翌2001年1月には約3年ぶりのアルバム『クロゼット』をリリース。等身大のポップな歌へと音楽を一新する。

2003年、東芝EMIとの契約を終了し、PRHYTHM(プリズム)に移籍する。シングルとアルバムを1枚ずつリリース。また松本英子ら女性歌手達と定期的にライブを行う。2004年にはデビュー10周年記念ライブを開催。

2006年3月3日、ギタリストで編曲家の石崎光と入籍。それと同時にプリズムから離れてフリーでの活動を始める。以来、楽曲制作のほか、年に数回、音楽イベント等に出演し、2011年からは単独ライブを行う等、マイペースで活動している。

2013年5月8日、7年間連れ添った石崎光との離婚を発表。

2013年6月29日、10年ぶりとなる公式音源3曲を、iTunesにて配信限定でリリース。いかなるレーベルの支援も受けず、キャリア史上初となる個人名義のみでのリリースとなった。

2014年9月24日、音楽ディレクターの松尾文美と共に制作を進めた自身初のカヴァーアルバムを、徳間ジャパンコミュニケーションズより発売。

バラードからロック、R&B、アカペラや英語曲まで幅広く歌う。デビューから数年は歌うことに専念していたが、2000年頃からはギターによる弾き語りも行い、ギブソン製のアコースティック・ギターを愛用している。

歌手の神谷千尋は母方のいとこであり、沖縄民謡界の重鎮・神谷幸一は二人のおじに当たる。

趣味は、アロマテラピー、映画鑑賞、雑貨屋巡り、WiiやニンテンドーDS等のゲーム、テレビ(主にバラエティ番組)を観ること。

洋楽に造詣が深く、ビートルズ、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、ダイアナ・ロス、ジャクソン5、エルヴィス・コステロ、マドンナ、エイミー・マン、シェリル・クロウ、ヴォンダ・シェパード、シャナイア・トゥエイン、ビョーク、サラ・マクラクラン、デズリー、トリーネ・レイン、アラニス・モリセット、フィオナ・アップル等々、普段は主に洋楽を好んで聴き、大きな影響を受けている。ライブではそれら洋楽曲をカバーするのが恒例。邦楽では、NOKKO、CHARA、奥田民生等が好き。シェリル・クロウやNOKKOは、可愛くて色気があってカッコイイ、自身の考える理想の女性像でもある。

映画や紅白で『花』を歌ったことで幅広い層のファンを獲得したが、一方では沖縄民謡歌手と思われるジレンマを経験(家に三線はなく父はギターを弾いていた。元々ロックや洋楽好き)。新たに曲を出したこともあり、ライブで『花』を歌わない時期もあった。

そもそも沖縄風の曲は『花』しか歌っていない。それも映画『ひめゆりの塔』の制作に伴う周囲からの要望で、沖縄出身だから歌っただけのことで、本人の意向ではなかった。ステージでの落ち着いた衣装や演出も、沖縄にこだわる周りの意に沿う、歌に合わせたものが多く疑問に思うが、そんな思いとは裏腹にイメージだけが一人歩きしていく。

世間から実年齢より上に見られて困惑し、歌うことが嫌になりそうな現実に苦悩する日々を送る。1999年から理想の歌を作るため作詞を始める。歌と向き合い詞を書いていく中、もっと年相応のカッコイイ音楽をやりたい、洋楽サウンドに乗せて素直な想いを無理なく自然体で表現出来ればと、次の姿を思い描いていく。

東芝EMIでの最後のアルバム『クロゼット』(2001年)で過半数の作詞を手掛ける。プリズムに移籍後、アルバム『ブルーミーバルーン』(2003年)では大半の作曲も手掛け、シンガーからシンガーソングライターへと転身を遂げた。以後も自作し、他のミュージシャンからの提供曲も含めて、楽曲を増やしている。

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