矢貫俊之の出身高校

矢貫俊之 プロ野球選手

矢貫俊之卒業高校
仙台育英学園高校 偏差値 宮城県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
1842位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1983年12月15日生まれ

矢貫 俊之(やぬき としゆき、1983年12月15日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身のプロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツに所属する。

5歳の時に父親の仕事の都合でフィリピンに移住する。フィリピンで現地の日本人の子供と共に野球と触れ合うようになる。小学校3年時に日本に帰国。小田倉小学校4年の時に小田倉スポーツ少年団でソフトボールを始め、エースで4番と活躍。その後西郷第二中学校1年から、軟式野球部で野球を始める。中学2年時に本格的に投手へ転向。

仙台育英高校では自身によれば7番手か8番手レベルの投手でベンチ入りできず、公式戦登板無しに終わった。同校は2001年春の第73回選抜大会で準優勝しているが、このとき矢貫はアルプススタンドで大太鼓を叩く担当だった。また、当時は中谷翼、菊池俊夫とチームメイトだった。

高校卒業後は、AO入試で常磐大学に進学。2年春からベンチ入りし、秋にリーグ戦初勝利。関甲新リーグ通算10勝11敗。同大学の3学年上に小野寺力、久保田智之が在籍していた。

大学卒業後は、2006年に三菱ふそう川崎へ入社。先発、中継ぎをこなしてチームの2008年夏の都市対抗野球大会出場にも貢献した。同年秋のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから3位指名を受け、11月22日に契約金5,500万円、年俸900万で仮契約した。

2009年は一軍出場はなかったが、10月7日から11月23日までアメリカに野球留学し、フェニックス・デザートドッグスの一員としてアリゾナ秋季リーグに参加した。10試合に登板し13.2回を投げ、被安打10、四死球8、三振14、失点・自責点1、防御率0.66の成績を残し、同リーグ最優秀防御率に輝いた。

2010年6月29日の埼玉西武ライオンズ戦で先発投手を務め、6回途中まで投げ2失点に抑えてプロ初勝利を挙げた。同年8月16日に右肘関節内骨片除去手術を受けた。その後はリハビリに専念し、二軍でも登板はなかった。

2011年10月13日の福岡ソフトバンクホークス戦で先発投手を務め、5回途中まで投げ1失点に抑えたが、打線の援護が無く敗戦投手となっている。なお、一軍ではこの1試合のみで留まった。

2012年はリリーフとして22試合に登板、7月6日にプロ初ホールド、8月1日にはプロ初セーブを挙げた。

2013年は開幕戦である3月29日の西武戦で、負傷降板した武田勝の後を受け、4回途中から登板すると2イニングを1失点にまとめて1勝目を挙げた。その後は主にロングリリーフとして起用されたが、防御率1点台と安定した投球を見せていたため交流戦中から接戦でも起用されるようになった。更に監督推薦によりこの年のオールスターゲームの出場選手に選ばれ、第3戦では地元の福島での登板を果たした。夏場に入ると疲労の色を隠せず、8月と9月に2度登録抹消され、防御率も3点台まで下がるなど打ち込まれる場面が増えた。それでも最終的には自己最多の57試合に登板、13ホールドを記録した。

2014年は前年同様ロングリリーフとして起用され、4月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で3と2/3イニングを無失点に抑え勝利投手になった。しかしシーズン全体では安定感を欠いて、登録と抹消を繰り返し、登板数、防御率共に大きく数字を落とした。

2015年6月10日、矢野謙次、須永英輝とのトレードで北篤と共に読売ジャイアンツへ移籍。

オーバースローから平均球速約144km/h、最速150km/hの速球、スライダー、縦のカーブ、フォークボールが武器。

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