田澤純一の出身高校
田澤純一 プロ野球選手
- 田澤純一卒業高校
- 横浜商科大学高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2239位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1986年6月6日生まれ
田澤 純一(たざわ じゅんいち、1986年6月6日 - )は、ボストン・レッドソックスに所属するプロ野球選手(投手)。愛称は「タズ」。
小学3年から少年野球チーム「三ツ沢ライオンズ」で野球を始め、横浜市立松本中学校の軟式野球部では2年時の横浜市大会ベスト16が最高成績。
横浜商大高校では1年夏からベンチ入り。2年次には背番号10で夏の甲子園に出場するも登板はなかった。3年夏はエースで神奈川県予選でベスト4入りするが、準決勝で涌井秀章を擁する横浜高等学校に3-16で敗れた。
高校卒業後は新日本石油に入社。主にリリーフを務め、入社2年目の2006年には第33回社会人野球日本選手権大会でベスト4進出の原動力となる。ドラフト指名解禁年の2007年には複数の球団が大学・社会人ドラフトの1巡目(希望枠)候補として検討していたが、リリーフ失敗など前年に比べると精彩を欠いたこと、また秋から挑戦した先発転向も結果が残せなかったことなどから残留を表明。
2008年はJABA東京スポニチ大会準々決勝(対JFE東日本戦)で5連続・6連続を含む大会新記録の18奪三振。同年夏の第79回都市対抗野球大会では全5試合に登板して1完封を含む4勝を挙げ、投球回数28回1/3で4失点、奪三振36・防御率1.27という成績で大会MVPに当たる橋戸賞を受賞した。
2008年9月11日、記者会見でメジャーリーグ挑戦の意思を表明。同時に日本プロ野球の12球団宛にドラフト指名を見送るよう求める文書を送付した。日本球団からのドラフト上位指名が確実視される選手が日本球界入りを拒否しメジャーリーグ挑戦を表明したことは「田澤問題」として日本プロ野球のドラフト制度に問題を提起した。従来、日米間には互いの国のドラフト候補選手とは交渉しないという紳士協定があったが、田澤のようにアマチュア選手本人がメジャー挑戦を希望しているにも関わらずこれを阻害することは職業選択の自由に反するため、この例外となった。一方で、日本球界側からは田澤に続いて有力アマチュア選手が直接メジャーに行くようになることでドラフト制度の崩壊を懸念する声も挙がった。この結果、日本のプロ野球のドラフト指名を拒否して海外のプロ球団と契約した選手は、当該球団を退団した後も一定期間(大卒・社会人は2年間、高卒選手は3年間)はNPB所属球団と契約できないとするルール(いわゆる田澤ルール)が設けられた。
田澤の獲得にはメジャーの複数球団が興味を示し、ボストン・レッドソックス、シアトル・マリナーズやテキサス・レンジャーズ、アトランタ・ブレーブスが実際に交渉。その結果、12月4日にレッドソックスと3年総額400万ドル(約3億8000万円)でメジャー契約を結んだ。日本のプロ野球を経由せずにアマチュアからメジャーリーグ球団と契約して一軍に上がった日本人選手としてはマック鈴木と多田野数人に続いて3人目、中でもマイナー契約を経ずにメジャー契約を結んだ初の日本人選手となった。
(日付は全て現地時間)
2009年は、招待選手としてメジャーのスプリングトレーニングに合流。5試合で9回1失点と好投を続けていたが、当初の育成方針通りに進まず、3月22日にはマイナー行きが告げられた。AA級ポートランドでは開幕投手を務め、18試合に登板して9勝5敗、防御率2.57、WHIP1.08の好成績を残した。7月、AA級東地区のオールスター戦にファン投票で選出。また、メジャーリーグのオールスター戦の前座として開催されるフューチャーズゲームの世界選抜チームにも選ばれた。フューチャーズゲームでは先発予定だったが、雨天で試合開始が大幅に遅れたため球団の指示で登板回避となった。7月27日にAAA級ポータケットに昇格し、2試合の登板で0勝2敗、防御率2.38、WHIP0.71の成績を残した。
8月7日、ウェーバー公示となったジョン・スモルツに代わってメジャー初昇格。同日のニューヨーク・ヤンキース戦、延長14回0-0の場面でプルペンに残っていた最後の投手(8番手)としてメジャー初登板。最初に対戦した松井秀喜は中直に打ち取ったが、15回にアレックス・ロドリゲスにサヨナラ本塁打を打たれ敗戦投手となった。松坂大輔ら先発投手に故障者が相次いでいたこともあり、同月11日のデトロイト・タイガース戦でメジャー初先発。5回4安打3失点(自責1)に抑えてメジャー初勝利を挙げ、23歳66日での先発勝利は日本人メジャーリーガー最年少記録となった。同月22日にはヤンキース戦に先発し、6回無失点で2勝目をあげた。しかし、メジャー4度目の先発となった27日のシカゴ・ホワイトソックス戦で9失点と打ち込まれ、30日にロースター枠の都合でマイナー降格。9月1日にセプテンバーコールアップで再昇格したが、4日のホワイトソックス戦でリリーフ登板した際に股関節を痛め、60日故障者リストに掲載されてシーズンを終えた。シーズン通算で登板6試合(うち先発が4)、2勝3敗で防御率7.46、WHIP2.05という成績であった。
2010年は、開幕メジャー入りを目指すも、スプリングトレーニングでは1イニング3本塁打を浴びるなど結果を残せず。前年から抱えていた右ひじの違和感を訴え、精密検査を受けた結果、右ひじの靭帯損傷が見つかりトミー・ジョン手術を受けることになった。4月6日に手術を受け、8月に軽いキャッチボールを再開。その後もリハビリのためシーズン全休となった。
2011年は、2月に術後はじめてブルペンで全力投球を行う。3月には東日本大震災を受けてチームメイトの松坂大輔、岡島秀樹、正田樹と義援金を募った。5月20日にアドバンスドA級セーラムで実戦復帰。セーラムでは6試合に登板し0勝1敗、防御率6.05、WHIP1.34ながら、球速は92mph(約148km/h)を計測するまでの回復を見せ、6月にAA級ポートランドに昇格。ポートランドでは6試合のリリーフ登板を含む8試合の登板で3勝2敗、防御率4.70、WHIP1.17の成績を残し、8月8日にAAA級ポータケットに昇格。ポータケットではリリーフとして8試合に登板し1勝1敗、防御率2.51、WHIP1.19の成績を残し、ポストシーズンでは岡島秀樹との継投もあった。セプテンバーコールアップにともない、9月13日に2年ぶりにメジャー昇格。同月14日のブルージェイズ戦でリリーフ登板し1回1失点だったが、球速は93mph(約150km/h)と復活を印象づけた。
2012年は、3月9日に年俸92万ドルの1年契約でレッドソックスと契約更新した。メジャー4年目で初の開幕ロースター入りを目指したが、スプリングトレーニングでは5試合の登板で7回を投げ防御率3.86、WHIP1.29と結果を残せず、3月23日にポータケットへ降格しマイナーで開幕を迎える。開幕後は4試合の登板で1セーブ、防御率0.00、WHIP1.00の成績を残し、4月18日にメジャー昇格。26日のシカゴ・ホワイトソックス戦では7回から2番手として登板し、3回無失点でメジャー初セーブを記録。4月は5試合に登板して無失点だったが、5月1日にポータケットへ降格。ボビー・バレンタイン監督は「ケビン・ユーキリスが腰痛を再発させ、野手が必要になった。田澤の投球が悪かったのではなく(契約上)マイナーに送れる数少ない選手だった」と降格の理由を語った。7月15日に再昇格し、15試合の登板で防御率1.80、WHIP1.40の好投を続けていたが、デビッド・オルティーズが故障から復帰したことに伴い8月24日に再降格したが、エイドリアン・ゴンザレスらのトレードに伴い翌日再昇格。再昇格後も17試合の登板で防御率1.53、WHIP0.45と好投を続け、1四球当たりの三振数は40イニング以上投げた投手でメジャー最高の9.00を記録。監督のバレンタインは「考えられないほど良くなった」と語り、チームメイトの松坂大輔からも「今の純一ならWBCでクローザーができる」と絶賛された。9月23日のオリオールズ戦では3年ぶりの白星を挙げ、10月4日のシーズン最終登板後には本人が「思った以上にいいシーズンだった」と振り返った。
2013年は、右腕・上原浩治、左腕・クレイグ・ブレスロウと共にブルペンの軸としてチームに貢献した。当初クローザーに予定していたジョエル・ハンラハンがケガで離脱し、代役のアンドリュー・ベイリーも乱調で結果を残せず、ベイリーが負傷した5月7日から田澤が一時的に暫定クローザーに指名された。しかし5月はチームに負けが多く、5月末にクローザーに復帰したベイリーも不調であり、6月7日のレンジャース戦では、上原までもが走者一掃の2塁打を打たれると、”レッドソックスに救援陣は居ない”と批評された。6月20日からは上原がクローザーに選ばれたが、この時には得点圏被打率0.088と勝負強い結果を残していた田澤を再度クローザーに指名するべきだという記事やアンケート結果が出された。しかし上原がクローザーとしての能力を証明し始めると、田澤は勝負どころのセットアッパーとして起用され、試合の終盤において「8回・田澤/ブレスロウ、9回・上原」の継投パターンが確立、後半戦とポストシーズンにおいて、”圧倒的”と賞されたレッドソックスの救援陣の一角を占めた。このシーズンは、自己最多の71試合に登板し、開幕から閉幕まで一度もメジャーから離脱しなかった。ポストシーズンでも、13試合の登板で1勝、防御率1.23と好投し、自身初のワールドシリーズ制覇を経験した。
2014年1月17日にレッドソックスと1年契約に合意した。この年は前年同様71試合に登板。防御率、WHIPはともに前年より改善した。
2015年は、上原浩治が戦線離脱した後にクローザーの代役を務める事もあったが、シーズン通じてややピリッとしない投球が目立った。最終的には、日本人メジャーリーガー史上5人目の3年連続60試合登板以上となる61試合に投げたが、疲労休養の名目で9月半ばにシーズンを終えた。最終成績は防御率4.14・2勝7敗3セーブ・WHIP1.33というものだった。
高めのスリークォーターで投げ、腕の振りが非常に速い。クイックが非常に速く、0.99~0.97秒をマークする。
平均球速93-94mph(約150-151km/h)、最速97mph(約156.1km/h)の速球(フォーシーム、ツーシーム)とカーブ、スライダー、フォークボール、チェンジアップが持ち味で、特に球速75mph(約121km/h)前後のカーブは評価が高い。
2012年よりあごひげを伸ばしている。登板するときには一連のルーティンがあり、まずペットボトルの水を最後に含んでからブルペンから出てくる。ブルペンを出るとすぐに立ち止まり、帽子のつばに手をかけて俯いて「低めに投げること」「腕を振ること」など注意すべきことをいくつか再確認する意味でつぶやいて、精神集中してからマウンドに走り出す。投球の合間にも、帽子やバックルを忙しく触ったり、腕を大きく回す仕草をする。またイニングまたぎには、塁線を踏まないようにしている。これらの動作に関して、インタビューで本人はツキを気にすると言い、やると安心すると答えていた。
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