田中順也の出身高校
田中順也 プロサッカー選手
- 田中順也卒業高校
- 大東文化大学第一高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
- プロサッカー選手ランキング
- 462位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1987年7月15日生まれ
田中 順也(たなか じゅんや、1987年7月15日 - )は、東京都板橋区出身のサッカー選手。プリメイラ・リーガ・スポルティング・リスボン所属。日本代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。レプロエンタテインメント所属。
小学1年生から本格的にサッカーを始め、中学時代から三菱養和SCの下部組織に所属。現在と同じく左足の豪快なシュートを武器としたプレースタイルで「三菱養和のアドリアーノ」の異名を取る。
高校3年次の2005年、チームのエースとして背番号「10」を背負い第29回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会に出場するも、香川真司、吉田麻也、安田理大、槙野智章といった後の日本代表メンバーが勢揃いした大会で目立った結果は残せず、グループリーグで敗退。Jリーグやサッカー名門大学からのオファーはなく、一般入試で順天堂大学に入学した。
大学時代も無名の存在であったが、2学年先輩である村上佑介を視察するため頻繁に順大を訪れていた柏レイソルのスカウトの目に留まり、2009年7月、大学4年の夏休みを利用する形で特別指定選手としてチームに登録された。登録期間は1ヶ月の予定であったが、同時期に監督に就任したネルシーニョの強い要望によりシーズン終了まで延長され、リーグ戦9試合に出場した。
2010年、柏へ正式加入。リーグ戦24試合に出場し、主に左サイドハーフとしてプレー。6得点を挙げた。
チームがJ1に昇格した2011年は、北嶋秀朗、工藤壮人らと2トップを形成。シーズン前半戦だけで8得点を挙げる活躍を見せ、9月に行われた2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選では、日本代表メンバーに初選出された。シーズン終盤はサブに回ることも多かったが、リーグ戦30試合に出場し13得点を挙げ、Jリーグ史上初となる昇格初年度でのJ1優勝に大きく貢献。FIFAクラブワールドカップ2011でも全4試合に出場し、オークランド・シティFC戦では、得意の左足からゴールを決めた。
2012年2月24日、キリンチャレンジカップ・アイスランド戦に後半開始から出場し、国際Aマッチデビューを果たすが、その後のシーズンはリーグ戦31試合に出場し、5得点に留まった。
2013年は復調し、リーグ戦11得点を挙げたほか、日刊スポーツ等が算出したアシスト数も二桁を記録。持ち前の戦術理解度の高さと無尽蔵のスタミナを生かし、試合によってはボランチのポジションまで下がり守備に奔走するなど、新たな一面も見せた。
翌2014年も好調を維持し、ブラジルW杯開催によるリーグ中断期間を前に、チームトップの5得点を記録した。
2014年6月29日、ポルトガル・プリメイラ・リーガのスポルティング・リスボンに5年契約で移籍することが発表された。契約に際し、6000万ユーロ(約83億円)という破格の違約金が設定された。2015年1月11日、スポルティング・ブラガ戦でリーグ戦初ゴール。
フィジカルが強く、ポストプレーもこなせる万能型のストライカー。左足から放たれる強烈なシュートを武器に、積極的にゴールを狙っていく豪快なプレースタイルは、しばしば久保竜彦と比較される。一瞬の動きで相手のマークを外すのが上手く、狭いエリアの中でもボールを受けて、シュートまで持ち込むことが出来る。
左足だけでなく、右足でも正確にシュートを打つことが出来るほか、繊細なボールコントロール技術や、戦術を忠実に実行出来るインテリジェンスも併せ持っている。
プレースキックも得意としており、柏レイソルでは、ジョルジ・ワグネルやレアンドロ・ドミンゲスの不在時にキッカーを任されることもあった。
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