田中亜土夢の出身高校
田中亜土夢 プロサッカー選手
- 田中亜土夢卒業高校
- 前橋育英高校 偏差値 群馬県高校偏差値ランキング
- プロサッカー選手ランキング
- 264位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1987年10月4日生まれ
田中 亜土夢(たなか あとむ、1987年10月4日 - )は、新潟県新潟市東区出身のプロサッカー選手。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。
10歳の頃からサッカーを始める。中学卒業後は新潟を離れて前橋育英高校に進学したが、全日本高校サッカー選手権には出場できなかった。2005年にアルビレックス新潟の特別指定選手となり、リーグ戦2試合に出場した。
高校卒業後の2006年に新潟に入団。リーグ戦22試合に出場し、J1第33節名古屋戦でプロ初得点を記録した。2007年は前年に引き続きU-20日本代表に選出されたが、9月に右足第五中足骨骨折で全治3ヶ月の重傷を負った。
2008年、怪我から復帰すると徐々に出場時間を延ばし、25試合に出場して1得点を記録した。その後、約1年半出場機会に恵まれなかったが、2011年は右サイドハーフのレギュラーに定着し、リーグ戦25試合に出場してプロ入り後最多となる3得点を挙げた。また、2011年12月3日のJ1第34節名古屋戦が、リーグ戦100試合目の出場となった。
2012年は左サイドハーフにポジションを移し、サイドバックの金珍洙と共に攻撃の起点となった。新潟はかろうじて残留を決める苦しいシーズンを送ったが、田中は自身初にしてチーム唯一のリーグ戦全試合に出場し、自己最多の4得点を記録した。
前年に続き主力として活躍した2013年には、新潟のJ1昇格10年を記念して新潟日報が企画した10年間のベストイレブンに選ばれた。シーズン終了後にはポーランド1部リーグのレヒア・グダニスクや、ドイツ2部リーグのエネルギー・コットブスといった海外クラブへの移籍話が持ち上がるが、いずれも実現せず新潟との契約を更新した。2014年は自ら志願して背番号を10に変更してプレーするが、シーズン終了後に海外移籍を目指して新潟を退団した。
2015年2月10日、フィンランド、ヴェイッカウスリーガ所属のHJKヘルシンキへの加入が発表された。背番号は新潟時代に引き続き10番。同月13日のリーグカップ、ロヴァニエメン・パロセウラ戦で初出場し、90分に初得点を記録した。加入一年目の田中はリーグ戦33戦中の31試合に出場。主にトップ下を務め、8得点を挙げた。
豊富な運動量を武器とする攻撃的ミッドフィールダー。新潟在籍時は主に左右のサイドハーフとしてプレーした。素早い攻守の切り替えでチームに貢献し、柳下正明監督に「攻守のスイッチを入れる選手」と評される一方で、要所でのボールロストが目立つ試合もあった。
新潟所属時の田中は地元出身の生え抜き選手としてサポーター人気が高く、地元企業のCMや広告、自治体や警察等の広報にも多数起用された。ローカル番組を中心にテレビ出演の機会も多く、2010年3月14日に放送された『やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜』にて、「テク-1グランプリ」というJリーグ各クラブの選手がテクニックを競う企画に出演し、チャンピオンに輝いている。
2007年のサッカーダイジェスト選手名鑑では、趣味特技にけん玉、スノーボードを挙げていた。
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