片山晋呉の出身高校

片山晋呉 スポーツ選手

片山晋呉卒業高校
水城高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
241位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
生年月日
1973年1月31日生まれ

片山 晋呉(かたやま しんご、1973年1月31日 - )は、茨城県下館市(現筑西市)出身のプロゴルファーである。日本プロゴルフツアー永久シード保持者。

子供のころ、ゴルフ場経営者の父の影響でゴルフを始め、5歳でラウンドデビュー。それ以後もゴルフの英才教育を受け、茨城県内屈指のゴルフの名門校である水城高等学校から日本大学に進学。日本オープン選手権・ベストアマチュア賞などを獲得する。在学中の1994年に、日本学生ゴルフ選手権競技で優勝する。

1995年にプロゴルファーテスト合格。チャレンジツアー(2軍組織、当時の名称は「グローイングツアー」)では上位に君臨するも、レギュラーツアーでは予選落ちを繰り返すが、江連忠プロ(ティーチングプロ)の指導の下で頭角を現す。1998年に後援競技の「サンコー・グランドサマートーナメント」でレギュラーツアー初優勝を果たした。

2000年、ダンロップフェニックストーナメントやメジャータイトルの「ゴルフ日本シリーズ・JTカップ」などで優勝を飾り、初の賞金王(賞金ランキング1位)に輝く。2003年に日本プロゴルフ選手権大会で初優勝を達成。2004年に2度目の日本ツアー賞金王になった。2005年は日本オープン選手権とABCチャンピオンシップで優勝し、2年連続3度目の賞金王が確定した。トレードマークはカウボーイハットであったが2009年夏からイメージチェンジを計っている。ツアー競技で優勝するたびに様々なパフォーマンスを繰り広げることでも知られる。

2001年、全米プロゴルフ選手権で4位入賞。この時アメリカのゴルフファンにも「カウボーイ・シンゴ」という愛称で呼ばれた。

2007年、背中や右膝などを痛めていたため、全英オープンを欠場。

2007年ブリヂストン・オープン後のインタビューで16歳の石川遼に「だけどこの先このままプロの試合でやっていても、トップ10に入ることはあっても、たぶん勝つことはないと思う。次は、プロも必死でくるからね」とコメント。

2008年、昨年に引き続き背筋痛を理由として7月17日から開催の全英オープンを欠場。欠場表明後、国内ツアーで永久シード獲得となる通算25勝にあと1と迫っており、2連覇がかかる7月3日から開催の日本ゴルフツアー選手権に出場した。世界最古のメジャー大会を袖にした形となった片山の行動に対して、全英オープンを主催するR&Aは日本ゴルフツアー機構会長小泉直に対して、次年以降の日本ツアー出場枠の削減を示唆したという。小泉は8月25日の理事会の定例会見において「非常に恥ずかしい思いをした」と自身の心境を振り返った。小泉によれば特別顧問青木功も「われわれがつくった地盤を壊す選手がいて困る」と憤慨していたという。

2008年8月5日、全英オープンに続いて、出場登録していた全米プロゴルフ選手権を背筋痛のため欠場することを発表した。

2008年の日本オープンゴルフ選手権競技ではドライバーをバッグから抜いたクラブセッティングで戦い、-1で完全優勝。通算25勝となり、永久シード権を獲得。

2009年のマスターズ・トーナメントでは10アンダーで回り、首位と2打差の4位に入る大健闘を見せた。マスターズでの日本選手としては伊沢利光(2001年)と同じ順位であり、首位との差では中嶋常幸(1991年)の4打差を抜いて最も接近する日本人最高成績となった。

2009年シーズンはマスターズ・トーナメントで4位に入ったものの、未勝利に終わる。

2010年シーズンのマスターズ・トーナメントで昨年の雪辱を果たそうとするが、結果は「75 77 計152(+8)」の78位タイで無念の予選落ち。

2013年シーズンのコカ・コーラ東海クラシックで-7で並んだ星野英正、冨山聡とのプレーオフを制し、2008年の三井住友VISA太平洋マスターズ以来5年ぶりの優勝を果たした(通算27勝目)。

※太字はメジャー大会

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