熊代聖人の出身高校
熊代聖人 プロ野球選手
- 熊代聖人卒業高校
- 今治西高校 偏差値 愛媛県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 616位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1989年4月18日生まれ
熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
野球ファンであった祖父の影響を受け、プロ野球選手を志す。祖父は小学校2年生時に亡くなったが、生前に「必ずプロ野球選手になる」との約束を交わしていたといい、告別式の日に祖母から渡されたアイスの棒へ「絶対プロ野球選手になるけん」と書き記し、祖父の霊前に供えた。その後、柔道を習い始めるが、それと並行して小学校4年生より地元の野球チーム・久万クラブで硬式野球を始める。クラブでは全ポジションを経験。
愛媛県立今治西高等学校では投手兼外野手として、2006年夏の甲子園・2007年センバツ・2007年夏の甲子園と3度の甲子園を経験する。最後の夏ではエースで4番を任され、1回戦で八代東高、2回戦で小熊凌祐擁する近江高を破り、3回戦では佐藤祥万を擁する文星芸大附高を相手に9回に決勝本塁打を放ち、チームのベスト8進出に貢献した。準々決勝では野村祐輔、土生翔平、上本崇司、小林誠司を擁する広陵高に敗れる。
甲子園における打撃成績は通算打率.421、1本塁打、8打点を記録、投手としては最速143km/hをマークし、75回3分の1を投げ自責点27、防御率3.23の成績を残している。なお、甲子園で放ったホームランボールと完封した試合のボールは共に祖父の仏壇に供えた。
高校卒業後は、社会人野球の日産自動車に入社し、内野手に転向する。1年目の2008年からレギュラー選手として起用され、チームの第79回・第80回の二度にわたる都市対抗野球出場に貢献した。2年目の2009年11月、同社野球部の休部に伴って王子製紙へ移籍。移籍と同時に外野手(主に中堅手)へ転向し、同社でも第81回都市対抗野球への出場を果たしている。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議において、埼玉西武ライオンズから6位指名を受けた。
ルーキーイヤーである2011年は、開幕を二軍で迎えた。打率は2割台前半であったもののチーム最多の犠打、三塁打、四死球を記録し、6月5日に不振の上本達之に代わり一軍に昇格した。6月11日の対阪神戦では9番・左翼手としてスタメン起用され、プロ入り初安打を含む2安打1盗塁を記録した。その後は主に代走や試合終盤の守備固め要員として起用され、公式戦全日程終了まで二軍落ちすることなく一軍に帯同した。
2012年も代走・守備固め要員として4月の一時期を除き一軍に帯同。左投手相手にはスターティングメンバーとしての起用も多かった。8月17日の対楽天戦では、ホセ・フェルナンデスの大飛球をキャッチし、トリプルプレーを成立させた。左打席の完成度は低く、右投手相手には代打を出されることが多かった。二軍落ちの理由も左打席の習熟であった。
2013年は開幕一軍入りを果たすが、出場試合数、打席数は前年をわずかに下回った。
2014年のシーズン開幕前、監督の伊原春樹から木村文紀や斉藤彰吾と共に2番・右翼手の候補として名を挙げられ、実際に2番・右翼手として自身初となる開幕スタメン入りを果たす。しかしシーズン通しての試合出場数は前年から大きく減った。
持ち味の一つである俊足を生かすため、2011年シーズンオフの秋季練習より本格的にスイッチヒッターへ転向すべく練習を開始したが、2013年3月21日に両打ちから再び右打ちに登録変更された。
青々と剃り上げた坊主頭がトレードマークであり、その容貌から同僚からは「たこ焼き」と呼ばれている。
2011年12月8日、今治西高時代の同級生と入籍したことが発表された。
2012年8月17日でお立ち台にあがった際、以前トークショーでやることを宣言していた「クマさんポーズ」(頭に握った両手を耳のようにのせるポーズ)を披露するも、やる前にその事について触れた際、多くのファンだけでなくインタビュアーからも認知されていなかった。
2013年9月29日、長男が誕生。同日の対ロッテ戦に代走として途中出場、試合中に誕生を伝えられたという。試合は延長戦となるも、プロ入り後初めてとなるサヨナラ安打を放ちチームを勝利に導く。ヒーローインタビューの中で試合中に長男が誕生したことを自ら観客に報告した。
熊代聖人の関連人物
プロ野球選手偏差値ランキング
職業から有名人の出身卒業高校を探す
プロ野球選手偏差値ランキング