濃人渉の出身高校
濃人渉 プロ野球選手
- 濃人渉卒業高校
- 福岡市立福翔高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1429位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1915年3月22日生まれ
濃人 渉(のうにん わたる、1915年3月22日 - 1990年10月10日)は、昭和初期から後期(1930年代後半-1970年代前半)のプロ野球選手、プロ野球監督。(1961年5月4日~1962年に「-貴実(たかみ)」と一時改名)。広島県広島市生まれ。1932年旧制広陵中(現・広陵高等学校 (広島県) 広陵高校)で選抜高校野球大会 春選抜に出場、明石中の名投手、楠本保に先発全員三振を喫し完封負け初戦敗退。楠本はこの試合を含め合計3度の先発全員三振奪取を記録、他に2度記録した投手すらいない大記録である。全国高等学校野球選手権大会 夏選手権は広島予選決勝で藤村富美男の大正中(のち呉港中、現・呉港高等学校)に敗れた。卒業後、広島専売局(現・日本たばこ産業 JT広島支局)を経て1936年プロ野球元年、名古屋金鯱軍に入団。背番号8。チームは1940年翼軍に吸収合併されて、西鉄軍 大洋軍、西鉄軍と変わるがそのまま在籍して戦時下の1943年までプレー。この後召集され負傷。1945年8月6日、故郷広島への原爆投下により原子爆弾 被爆。ちなみに、プロ野球界で被爆者健康手帳を持っているのは、張本勲と濃人のみである。
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