溝手顕正の出身高校
溝手顕正 議員
- 溝手顕正卒業高校
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- 議員ランキング
- 42位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1942年9月13日生まれ
溝手 顕正(みぞて けんせい、1942年9月13日 - )は、日本の実業家、政治家。自由民主党所属の参議院議員(5期)、自由民主党参議院議員会長(第28代)・税制調査会副会長。
国家公安委員会委員長(第75代)、内閣府特命担当大臣(防災)、自由民主党参議院幹事長、参議院予算委員長・議院運営委員長・国家基本政策委員長・総務委員長・政府開発援助等に関する特別委員長等を歴任した。
広島県広島市南区皆実町生まれ。その後は安芸郡や加茂郡原村(現東広島市)を経て、三原市に転居した。広島大学附属三原中学校、広島大学附属高等学校、東京大学法学部政治学科卒業。東大卒業後、富士製鐵(現新日本製鐵)勤務を経て幸陽船渠に入社し、同社代表取締役社長を務める。この間、日本造船工業会常任理事や三原商工会議所副会頭を務めた。
1987年、地元商業界の後押しを受け、三原市長選挙に出馬し、当選。1991年に再選され、2期6年務める。この間、全国市長会評議員や広島市長会副会長を務めた。1993年12月、藤田雄山の広島県知事選挙立候補に伴う参議院広島県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、当選。以後、当選5回。2004年、参議院議院運営委員長に就任。
2006年9月、第1次安倍内閣で国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)に任命され、副大臣や大臣政務官を経ずに初入閣した。しかし、在任中は数回にわたる失言や大臣規範違反が発覚。2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、広島県選挙区から自民党公認で出馬し、4選。選挙戦中に発生した新潟県中越沖地震に際しては、広島県での選挙運動を中止し、政府調査団長に就任して被災地を視察に訪れた。選挙後に発足した第1次安倍改造内閣では再任されなかった。2007年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟「自由民主党朝鮮半島問題小委員会」の立ち上げに参加し、副委員長に就任した。2008年に参議院予算委員長、2009年に参議院国家基本政策委員長をそれぞれ務めている。
2011年9月、自由民主党参議院議員会長の中曽根弘文は、参議院自民党の執行部人事において、当初は参院幹事長の小坂憲次、参議院政策審議会長の山本一太の両名を再任する意向だったが、2009年の第45回衆議院議員総選挙で落選し、2010年に参院に鞍替えしたばかりの小坂や、同じ群馬県選出の山本の続投に、町村・額賀・古賀3派からは批判が高まり、中曽根は一旦参院幹事長を鴻池祥肇に交代させる人事案を議員総会に提出するも、否決される。これを受け、中曽根は古賀派の溝手を参院幹事長に、町村派の岩城光英を政策審議会長に起用する新たな人事案を提出して承認され、溝手が自民党参議院幹事長に就任した。
2013年7月26日、中曽根の任期満了に伴う参院議員会長選挙に町村・額賀・古賀3派の後押しを受ける形で立候補し、82票を獲得。31票を獲得した鴻池祥肇を破り、自由民主党参院議員会長に選出された。
2014年9月9日、参院執行部会において、参院幹事長の脇雅史から一票の格差を是正するための選挙制度改革に対する後ろ向きな姿勢を批判され、参院議員会長を辞任するよう求められたが、溝手は辞任に応じず、12日の特別総会で脇を参院幹事長から更迭した。
第1次安倍内閣で国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)を務めていた2007年、無届けで社会福祉法人理事長を務めて報酬を受け取っており、国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範違反の疑いがもたれた。その後、溝手は受け取っていた報酬を2007年7月3日までに社会福祉法人に返金したが、閣僚辞任や議員辞職については否定した。
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