清水智信の出身高校
清水智信 スポーツ選手
- 清水智信卒業高校
- 北陸学園北陸高校 偏差値 福井県高校偏差値ランキング
- スポーツ選手ランキング
- 559位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1981年(昭和56年)6月28日生まれ
清水 智信(しみず とものぶ、1981年(昭和56年)6月28日 - )は、日本の元プロボクサー、政治家。東京・大崎の学習塾「ブルカン塾」講師、福井県議会議員(1期)。福井県福井市出身。
第20代WBA世界スーパーフライ級王者。第51代日本フライ級王者。金子ボクシングジム所属。北陸高校、東京農業大学卒業。メディア対応などについてはエーケー・グローバル・エージェントとマネジメント契約を結んでいる。入場曲は「ロッキーのテーマ」。
ボクシングの名門・東京農大ボクシング部で主将を務めた。同部は 五十嵐俊幸(WBC世界フライ級王者、アテネ五輪日本代表)、井岡一翔 (元WBC・WBA世界ミニマム級・WBA世界ライトフライ級王者)を輩出している。
国体・全日本選手権で準優勝の成績を残し、アテネオリンピック強化指定選手にも選ばれた。
卒業後はプロ転向。東京農大と同じ世田谷にある金子ジムにてプロとなった。
なお、現実の就職は秋葉原のラーメン名店である九州じゃんがら(株式会社タス21)であり、現在も勤務している。(後述)
2004年(平成16年)3月12日、後楽園ホールで溝神実雄を相手にB級でプロデビュー。2回TKO勝ちを収めた。
2004年(平成16年)7月23日、後楽園ホールにてタイライトフライ級1位カエンナコーン・クロンパチョンとの試合。生涯初のダウンを喫し初回TKO負け。
2005年(平成17年)10月19日、その後4連勝で10連勝中の久高寛之との試合で8回3-0判定で勝利した。
2007年(平成19年)1月21日、後楽園ホールで前WBCユース王者のファーペッチノーイ・クラティンデーンジム(タイ)に10回判定勝ちし、世界ランク入り。
2007年(平成19年)4月6日、タイに乗り込みWBC世界フライ級王者ポンサクレック・ウォンジョンカムに挑戦。鼻梁に3針の裂傷を負い、7回終了時に棄権しTKO負けの完敗。王座獲得に失敗した。
2007年(平成19年)11月4日には、福井県敦賀市きらめきみなと館でポンサクレックから世界王座を奪った内藤大助と2ラウンドエキシビションを行った。
2008年(平成20年)4月14日、2連勝後後楽園ホールで行われた日本フライ級タイトルマッチで王者吉田健司に10回判定勝ちし、同王座を獲得した。その後、ふくいブランド大使に任命された。
2008年(平成20年)7月30日、国立代々木第一体育館にて行われたWBC世界フライ級タイトルマッチで内藤大助に挑戦。変則スタイルの王者に対し基本通りのボクシングに徹し、8回終了時のポイントでは優勢であったが、10回にダウンを奪われ逆転のKO負け。
2008年(平成20年)12月23日、大学の後輩で日本フライ級暫定王者五十嵐俊幸とのタイトル統一戦を両国国技館にて行う。同日にOPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ(大久保雅史 vs. ジョジョ・バルドン)とWBCフライ級タイトルマッチ(内藤大助 vs. 山口真吾)の試合も行われ3大フライ級タイトルマッチと銘打たれた興行で10回3-0判定勝ちで王座統一とともに初防衛に成功した。
2009年(平成21年)4月19日、6位池原繁尊を迎えての2度目の防衛戦では、初回に偶然のバッティングで左目上をカットし、2回にドクターチェックを受けて、この回57秒に試合は止められ、負傷引き分けで王座を守った。
2009年(平成21年)6月21日、結婚披露宴を行った。
2010年(平成22年)2月8日、WBCフライ級6位の日本王者としてWBA12位・WBC13位の小林タカヤスと対戦。2Rにダウンを奪い、4Rには小林がバッティングで減点を受け、7回0分59秒TKO勝利を収めて3度目の防衛に成功した。試合後にはWBA・WBCの2団体で世界同級王座を独占する亀田興毅・大毅兄弟への挑戦意欲をアピールした。
2010年(平成22年)8月9日、半年間の集中ウェイトトレーニングでインファイトを強化して7位のキューピー金沢と対戦し、タオル投入による6R0分36秒TKO勝利で4度目の防衛に成功した。
2010年(平成22年)11月8日、「照準を世界に絞り込む」という本人の意向により、約2年7ヶ月間保持(4度防衛)してきた日本王座を返上した。
2011年(平成23年)8月31日、本来の階級、フライ級から一階級あげWBA世界スーパーフライ級王者ウーゴ・カサレスに挑戦、2-1のスプリットデシジョンで王座獲得に成功。
しかし、けがが判明し2011年(平成23年)11月付でWBAが休養王者に認定した。
2012年(平成24年)4月4日、横浜アリーナで正規王者テーパリット・ゴーキャットジムとWBA世界スーパーフライ級王座統一戦を行ったが、9RでTKO負けを喫した。
2012年(平成24年)9月10日、都内ジムにて現役引退を表明した。
2012年(平成24年)10月12日、ジムメイトの大竹秀典を相手に引退スパー。
2015年(平成27年) 4月、第18回統一地方選挙福井県議会議員選挙(福井市選挙区)に無所属で出馬し当選。
清水が大学を出て就職した九州じゃんがららぁめんは、学習塾「ブルカン塾」を母体としている。ブルカン塾自体が、大学を出てヤクルト営業マンとなった下川高士が、同社女性販売員の子弟に対しボランティアで勉強と人としての礼儀を教えたのがそもそもの発祥である。ブルカン塾が独立して正式発足した後に、同塾卒業生の働き場として作られたのが九州じゃんがららぁめんであった(ラーメン店で下川が塾長と呼ばれているのはこのため)。下川は、プロボクシングで活躍する清水を見逃さず、塾で「生き方」を子供たちに教えるよう依頼し、清水も快諾したのである。同塾の特別講座「青春講座」の講師を務める。
九州じゃんがららぁめんは、清水の世界王座獲得に合わせて、「チャンピオンラーメン」という新メニューを投入した。
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