深見安博の出身高校
深見安博 プロ野球選手
- 深見安博卒業高校
- 報徳学園高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 998位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1919年11月26日生まれ
深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1972年4月9日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
報徳商業ではエースで4番を打ち、中央大学、西日本鉄道のノンプロチームを経て、1950年に西鉄が新設したプロチーム・西鉄クリッパースに入団し、打率.279、22本塁打をマークした。
1952年開幕直後、大下弘との交換トレードで、当時西鉄の主力投手だった緒方俊明とともに東急フライヤーズに移籍。同年に25本塁打を放ちパ・リーグ本塁打王に輝いたが、これは日本プロ野球史上唯一の2球団にまたがる本塁打王(西鉄で2本塁打、東急で23本塁打を記録)であり、未だ深見以外に達成したものは誰一人としていない。
その後は1954年に高橋ユニオンズ、1955年に南海ホークスと移籍したが、全盛期の頃のパワーはなく、代打としての出番が多くなった。1957年に現役引退。
現役引退後、社会人野球の日炭高松で監督を務め、柿本実・龍憲一・黒江透修を育てた。1961年、西鉄のコーチに就任し、1963年のリーグ優勝に貢献。1965年には中西太の病気休養により、4月18日から5月11日までの13試合、代理監督を務めた。
1968年、根本陸夫に請われて広島のコーチに就任し、衣笠祥雄・山本浩二・水谷実雄・三村敏之ら若手選手を指導した。1970年退団。
1972年4月9日死去。満52歳没。
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