深沢 修一(ふかさわ しゅういち、1948年6月17日 - )は、山梨県北杜市武川(現役当時は、同県北巨摩郡武川村)出身の元プロ野球選手(外野手)である。
甲府工業高校では、後に阪急ブレーブスの正捕手として活躍する中沢伸二の2年後輩であった。1966年、3年生の時に、3番打者、中堅手として夏の甲子園に出場。準々決勝で小倉工の横山晴久投手に抑えられ敗退。高校同期に西村公一(卒業後、阪神タイガース→プロゴルファーに転向)がいる。同年11月、ドラフト2位指名で投手として読売ジャイアンツに入団。
しかし入団直後に肩を壊し、外野手に転向するも公式戦に出場する機会が無く、1968年5月に川内雄富外野手との交換トレードで広島東洋カープに移籍。1971年には控え外野手の一番手につけ、206打席に立ち、打率.279の好成績をあげる。その後は打撃面で伸び悩むが、持ち前の俊足と強肩を活かし代走や守備要員としてチームに貢献した。広島初優勝の1975年にはスーパーサブとしての役割を果たした。1981年オフに現役引退。
現在は、山梨県甲斐市でバッティングセンター「スタジアム31」を経営している。
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