津島佑子の出身高校

津島佑子 作家

津島佑子卒業高校
白百合学園高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
作家ランキング
389位 / 702人中 作家別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1947年3月30日生まれ

津島 佑子(つしま ゆうこ、1947年3月30日 - )は、東京都北多摩郡三鷹町(現・東京都三鷹市)生まれの日本の小説家。本名は津島里子(つしま さとこ)。作品は英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・オランダ語・アラビア語・中国語などに翻訳されており、国際的に評価が高い。朝日賞選考委員。父は小説家の太宰治。

小説家太宰治と津島美知子の次女。1歳のとき父を失い、母子家庭に、さらに12歳のとき3歳上の実兄が病没し母・姉と"女系家族"に育つ。 白百合学園中学校・同高等学校を経て、1966年、白百合女子大学文学部英文科在学中、ガリ版同人誌『よせあつめ』を創刊。処女作『手の死』『夜の……』を発表。同年「文芸首都」会員となる。1967年、成人式を迎えるに際して山梨県の富士五湖を訪れ、父の文学碑を見る。同大学卒業後、1969年4月、明治大学大学院(英文学専攻)に入学するも、ほとんど講義に出席せず。1970年11月、結婚により財団法人放送番組センターを退社。1971年、第一作品集『謝肉祭』を刊行。この時期は母子家庭のテーマを繰り返し描く。1972年5月、長女を出産。後年夫とは不和となり離婚。その後津島には新たな私生活のパートナーとなる男性が現れたが、この男性とは再婚せず別離。またこの男性との間に1976年8月、長男を出産するが、長男は1985年3月に呼吸発作のため死去。この体験は後に『夜の光に追われて』『真昼へ』などの作品の主題となる。

1991年10月、パリ大学国立東洋言語文化研究所に招聘され日本の近代文学を講義。

1998年、構想から5年をかけた大作『火の山―山猿記』を完成。家族、生と死、言葉の隔たりといったそれまでのテーマを集大成し谷崎潤一郎賞・野間文芸賞を受賞。この作品は後に2006年4月から放送のNHK連続テレビ小説『純情きらり』の原案となった。

実姉は、津島雄二代議士夫人の津島園子。作家・太田治子は異母妹にあたる。

『山のある家 井戸のある家』で次のように記している。「父についても、どうか、だれにも聞かれないように、といつも願っていました。父はいませんと言えば、それはなぜ、とひとは聞きます。事故で死んだ、と答えれば、なんの事故、とさらに聞かれます。そうなると返事に困ってしまいます。「自殺」とはどうしても自分の口から言うことはできませんでした。今でも言いたくない言葉ですが。そのうえ、よその女のひとと一緒に死んだなどとは、どうしてもひとには知られたくないヒミツでした。」また、「幼稚園のころ、母に聞いたことがあります。お父さんはなんで死んだの? 母は一瞬、考えてから、うん、心臓が止まったから、と答えました。」「父が小説家だったということは、家に本があったので、早くからわかっていました。でも、それ以上のことはわからないままでした。父方の親族は、父自身が実家から勘当されていたので、会ったこともありません。」「一度だけ、ラジオの前に坐らされ、これは子ども向けのものだから、と父の書いた小説をもとにしたラジオドラマを聞かされたことがありました。びっくりするほど、それは珍しいことだったのです。ラジオドラマが終わってから、母におもしろかったと言えばいいのか、つまらなかったと言ったほうがいいのか、迷ったことをおぼえています。」さらに、「その後、父にはほかの女性とのあいだに娘がいることも知りました。私とは異母妹ということになります。そのことにも、私はいやな気持は持ちませんでした。もしかしたら、異母兄とか、ぞくぞくと私の知らない兄弟姉妹が現れるのかもしれない、と期待したりもしました。」

『透明空間が見える時』では、「また、これは私の個人的な事情なのだが、太宰治の作品だけは、その人が私の父親であることから、かなり早くから読みはじめていた。(中略)芥川や谷崎の愛読者であった私は、太宰の作品をも芥川と同列のところに並べて読んでいた。すなわち、価値をすでに見いだされて、教科書にも載るような作家として読んでいたわけで、時代背景の生き生きした臨場感はほとんど味わうことはなかった。」と記している。

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