洗平竜也の出身高校
洗平竜也 プロ野球選手
- 洗平竜也卒業高校
- 光星学院高校 偏差値 青森県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 4581位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1979年1月9日生まれ
洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は、青森県上北郡六戸町出身の元プロ野球選手(投手)。
光星学院高等学校では1年生の夏からエースとなるも、3年間連続して夏の甲子園県大会決勝で敗退、甲子園出場はならなかった。
高校卒業後は東北福祉大学に進学。吉見祐治がエースを張るなど、層の厚い大学ゆえ当初は登板機会が与えられなかったが、3,4年次にはエースクラスの働きを見せ、仙台六大学リーグ通算10勝0敗。4年の秋、明治神宮野球大会出場を決めるための北海道・東北地区王座決定戦では北海学園大学から19奪三振を記録してスカウトの注目を集めた。
2000年のドラフトでは、中日ドラゴンズを逆指名し、2位で入団。契約金は1億円であった。
キャンプでブルペン入りして最初の球を、なんと隣のキャッチャーのミットに投げ込んでしまう。翌日も8球中7球が捕手がキャッチできない程の暴投であった。原因は、極度の緊張でボールを放す感覚を突然忘れてしまった事とされ、精神的ストレスによる運動障害の1つ「イップス」であると報道された。ブルペン入りして早々と「ノーコン」のレッテルが貼られた。そのキャンプでは何度かブルペン入りのチャンスを与えられたが制球力のなさは相変わらずで、キャンプの日程を半分も消化していないうちに2軍行きを命じられた。1年目の2軍登板は25試合、2年目は10試合であり、3年目はさらに減少した。
ファーム修正でも制球力は良くならず、結局在籍3年間で一度も1軍に上がることなく、1軍実働ゼロで2003年秋に戦力外通告を受ける。
プロ野球引退後は、愛知県でサラリーマンをしながら2004年から社会人野球の硬式野球クラブ東海レックスに入団した。制球難は相変わらずで、ベーブルース杯では打者の頭に死球をぶつけたこともあった。2007年シーズンをもって現役を引退している。
千葉県内に転居。中日退団後に結婚した妻との間に3児をもうける。長男が所属した少年野球チームのコーチをするなどを機に、2014年4月日本学生野球協会の指導資格を取得している。
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