河野淳吾の出身高校

河野淳吾 サッカー選手

河野淳吾卒業高校
静岡市立清水商業高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
サッカー選手ランキング
1346位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1982年7月9日生まれ

河野 淳吾(こうの じゅんご、1982年7月9日 - )は、神奈川県足柄下郡湯河原町出身の競輪選手。日本競輪選手会神奈川支部に所属。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)でプレーした元プロサッカー選手としては初の競輪選手。 サッカー選手時代は、空中戦と1対1に強いセンターバック。

河野水軍の子孫。実弟に河野直人。

地元の湯河原サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。中学から隣県の静岡県に越境入学し、1995年に東海大第一中学、1998年に清水商業高校へと進学する。高校同期に小林大悟、佐野裕哉、秋本倫孝ら。2000年高校3年時には全日本ユース選手権で優勝を果たす。

2001年、サンフレッチェ広島に入団、同期に林卓人、トゥーリオ(現・田中マルクス闘莉王)、西嶋弘之、寺内良太、梅田直哉、李漢宰。広島での公式戦試合出場は、ナビスコ杯に2試合出場に留まった。

2003年、Jサテライトリーグでプレーしていた時にピエール・リトバルスキーの目に留まり、同年6月に横浜FCへ期限付き移籍 し、本来のDFだけでなく、MFやFWでも起用され、ポジションを問わずユーティリティに使われ続けた。7月26日の第24節大宮アルディージャ戦では前半1分に退場処分になった菅野孝憲の代わりに89分間GKのポジションを務めた。 翌2004年も移籍期間を延長して横浜FCに在籍するも、なかなか出番の無い時期が続いていた。しかしリーグ終盤の4試合にフル出場するなど貴重な戦力として活躍、翌2005年に横浜FCに完全移籍した。

2006年、水戸ホーリーホックに期限付き移籍した。「水戸ナチオ」と呼ばれた水戸の硬い守備陣の中でリーダーとして活躍した。

2007年、徳島ヴォルティスへ完全移籍し 主力として活躍したが、同年6月16日対コンサドーレ札幌戦の時にダヴィとの激突(河野からボールを取りに行き、河野がファールの判定を受けた)により右足下腿骨骨折(開放性骨折)により離脱する。復帰が大幅にズレこみ懸命にリハビリを続け2008年11月に復帰する も、以前のプレーが出来ないことから同シーズン終了後現役を引退した。

2009年、地元の神奈川県に戻って競輪への転向を目指し、同県の競輪選手である高木隆弘の元へ住み込みで弟子入りした。

同年7月17日、日本競輪学校第99期一般入学試験(適性試験)に合格した。同年11月25日入学。2010年10月15日、同校を卒業。在校競走成績は74戦1勝で第44位。

同年11月1日付で競輪選手登録された。

2011年1月5日、小田原競輪場でデビューし6着。2012年2月12日、京都向日町競輪場で初勝利を挙げた。

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