河野一郎の出身高校
河野一郎 議員
- 河野一郎卒業高校
- 小田原高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- 議員ランキング
- 495位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1898年(明治31年)6月2日生まれ
河野 一郎(こうの いちろう、明治31年(1898年)6月2日 - 昭和40年(1965年)7月8日)は、昭和時代の政治家。自由民主党 (日本) 自由民主党の実力者。位階 従二位勲一等旭日桐花大綬章。国会議員であるが選挙区である神奈川県の県政を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。参議院議長をつとめた河野謙三は弟。衆議院議長、外務大臣、自由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議員河野太郎は孫にあたる。明治31年(1898年)6月2日、神奈川県足柄下郡豊川村(現在の小田原市成田)の豪農・河野家に生まれる。父治平(じへい)は、豊川村長、神奈川県会議長を歴任した。母はタミ。大正12年(1923年)早稲田大学を卒業。朝日新聞社に入社。昭和6年(1931年)犬養毅内閣の山本悌二郎農林大臣の秘書官となる。昭和7年(1932年)2月、衆議院議員総選挙に神奈川3区から出馬し、当選する。当選後は、立憲政友会に所属した。鈴木喜三郎総裁の後継をめぐる党内抗争では、鳩山一郎を担いで奔走したが、中島知久平が優位に立っていた。河野は、久原房之助を擁立して対抗し、政友会は、正統派(久原派)と革新派(中島派)に分裂するに至る。昭和17年(1942年)の第21回衆議院議員総選挙 翼賛選挙では、非推薦で選挙戦を戦い当選した。
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