河本敏夫の出身高校
河本敏夫 議員
- 河本敏夫卒業高校
- 龍野高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- 議員ランキング
- 524位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
河本敏夫(こうもと としお 明治44年(1911年)6月22日 - 平成13年(2001年)5月24日)は、昭和、平成期の政治家、衆議院議員、実業家。1911年兵庫県相生市生まれ。旧制龍野中学(現・兵庫県立龍野高等学校)から姫路高等学校 (旧制) 旧制姫路高校(神戸大学の前身校)にトップの成績で入学。マルクス主義の影響を受けて反戦運動に参加し、1930年退学を余儀なくされた。炭坑夫や職工などを経て日本大学法文学部に入学した。在学中に義兄らと三光汽船(当時、三光海運)を設立、卒業後の1937年から社長となる。1949年の衆議院議員総選挙で旧兵庫4区から初当選。以後、連続17回当選。1968年に佐藤栄作内閣の郵政大臣として初入閣した後、政界の玄人筋からは、三木派 三木武夫派の資金調達役として知られていたが、存在が一躍注目されるようになったのは三木内閣で通産大臣に就任してからである。福田赳夫内閣でも通産相、鈴木善幸、中曽根康弘両内閣で経済企画庁長官などを歴任した。自民党でも昭和51年(1976年)、昭和53年(1978年)の2度にわたって自由民主党政務調査会 政調会長を務めた。自民党屈指の政策通、経済通として知られ、三木に批判的な立場だった大平正芳や後藤田正晴にも「一角の人物」と一目置かれた。政策としては積極財政論を唱えることが多かった。
河本敏夫の関連人物
議員偏差値ランキング
職業から有名人の出身卒業高校を探す
議員偏差値ランキング