池谷友良の出身高校
池谷友良 サッカー選手
- 池谷友良卒業高校
- 浜名高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 793位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1962年6月17日生まれ
池谷 友良(いけや ともよし、1962年6月17日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ロッソ熊本初代監督。現在はJリーグ所属のロアッソ熊本を運営する株式会社アスリートクラブ熊本の代表取締役。
静岡県立浜名高校時代は全国大会の出場経験はないが、3年生の時に国体の静岡県選抜の一員として優勝。中央大学に進学し、卒業後日立製作所サッカー部(現在の柏レイソル)に入部。当時の日立製作所サッカー部は日本サッカーリーグの1部と2部の往復生活で、池谷自身それほど出場機会が多くないこともあり、選手としては全国区になれないまま29歳で引退した。
引退後は下部組織のコーチとして日立製作所→柏レイソルに残留。1995年のシーズン途中からトップチームのコーチに昇格し、1999年のナビスコカップ獲得、2000年のシーズン通算勝ち点1位(ただしステージ制覇はならなかったので年間成績は3位)に貢献した。その後チームは下降線を辿り始め、2002年に監督のスティーブ・ペリマンが解任された際には監督代行を務めた。マルコ・アウレリオの監督就任に伴って池谷はトップチームから身を引き(「ユースチーム・スクールマスター」の肩書きでチームには残った)、2003年にはU-15日本代表のコーチを務めた。
その後も柏は低迷が続き、抜本的なチーム改革が必要と感じたフロントは、日立製作所時代から20年近く所属してきた池谷を監督としてトップチームに呼び戻した。しかしリーグ戦開幕2連勝の後8試合連続勝ち無しで最下位に転落すると池谷は解任されてしまう。チーム状況が悪かったとはいえ、この年から「3カ年計画」を打ち出して池谷にある程度の長期政権を任せる意向だったフロントの安易な方針転換は長期ビジョンの無さを浮き彫りにした(その後、柏は早野宏史を監督に招いたがチームは池谷時代以上に悪化し、翌年にはついにJ2降格となった)。
解任という形で20年近く所属した柏を去った池谷だが、「3年でのJリーグ入り」を目標に誕生したロッソ熊本の初代監督として招聘され、再就職先は早く見つかった。ロッソ熊本は2004年まで九州サッカーリーグに所属していたアルエット熊本が母体だが、チーム名を変更するにあたって選手のほとんどを入れ替え、Jリーグ経験者も多く所属する陣容となった。池谷自身も「3年でJリーグに上げる」と公言しており、2005年は日本フットボールリーグ(JFL)昇格が至上命令となった。シーズン中盤以降にややもたついたものの九州サッカーリーグでは優勝。その後の全国地域リーグ決勝大会では3位に終わったが、愛媛FCが2006年からJ2に昇格することに伴い、めでたくJFL昇格となった。JFLの2006年シーズンは5位に終わりJ2参入はならなかったが、2007年シーズンも引き続きJFLでロッソ熊本を指揮。2位となり、J2参入を成し遂げた。
2008年シーズンも、ロアッソ熊本に名称を改めた同クラブを引き続き指揮。J2他クラブと比べて戦力的に劣る状況下で開幕から苦戦したものの、終盤には8試合負けなしを記録するなど、最終的には15クラブ中12位と、参入1年目のクラブとしてはそれなりの成果を挙げた。同年限りで監督を勇退し、2009年度からはGM職に専念している。
2012年3月、株式会社アスリートクラブ熊本の代表取締役に就任した。2013年7月、監督の吉田靖退任により、監督代行に就任。シーズン終了まで監督代行を務めた。なお、社長と監督の兼務はJリーグから認められていないため、社長は退任し監督代行に専念することとなったが、監督退任後は社長に復帰する予定となっている。
その他の公式戦
2013年は第24節から。順位は最終順位。
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